ベルリン
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ベルリン市長(Regierender Burgermeister、直訳的には「統治者である市長」)は、議会議員選挙のたびに議会によって選出され、ドイツ連邦議会が任命する[51]

ベルリン市長は州政府(ベルリン市参事会、Senat von Berlin)を率いる[51]。州政府は、市長のほか8人の閣僚(Senat、直訳的には「元老」)によって構成される[51]。閣僚はそれぞれ州政府の「省」を率いる[51]。閣僚のうち2人は副市長(Burgermeister、直訳的には「市長」)を務める[51]。市長および州政府の執務は赤の市庁舎で行われる。
議会詳細は「ベルリン市議会」を参照

2023年ベルリン市議会選挙(英語版)(2021年選挙の再選挙)の結果、ドイツキリスト教民主同盟(CDU)が議会第1党の座を奪還し、それまで議会与党だったドイツ社会民主党 (SPD) と連立を組み、22年ぶりに市長の座を奪還した。各党の「得票率/獲得議席数(無効となった前回2021年選挙からの増減)/議席占有率」は以下の通りである。

   ドイツキリスト教民主同盟(CDU) 29.7%/52議席(+22)/32.7%

   ドイツ社会民主党(SPD) 19.9%/34議席(-2)/21.4%

   同盟90/緑の党(Die Grunen) 19.2%/34議席(+2)/21.4%

   左翼党(Die Linke) 12.3%/22議席(-2)/13.8%

   ドイツのための選択肢(AfD) 9.0%/17議席(+4)/9.4%

   自由民主党(FDP) 3.9%/0議席(-12)/0.0%

過去、2001?2011年にはSPDと左翼党が連立していた。その後の2011?2016年は、SPDとCDUによる連立政権であった。この時期、ドイツ海賊党がベルリン市議会の議席を有しており、同党としてはこれが州議会レベルで初の議席獲得であった[52]
歴代市長

  詳細は「ベルリン市長」を参照

1990年-1991年: ヴァルター・モンパー

1991年-2001年: エーベルハルト・ディープゲン

2001年-2014年: クラウス・ヴォーヴェライト

2014年-2021年: ミヒャエル・ミュラー

2021年-    : フランツィスカ・ギファイ

予算

ベルリン州の年間予算規模は2007年度で205億ユーロでこれには8000万ユーロの余剰金も含まれる。この数値はベルリンの政治史の中で初めての黒字を示している[53]。歳入の増加によるもので、ベルリン参事会では2008年に増加する予算の余剰金を計算している。ベルリン州の予算額の合計には約55億ユーロのドイツ政府か連邦州の財源が含まれている[54]。一方で再統一に関連しベルリンは他のドイツの州よりも多くの負債があり、2007年12月現在の負債は600億ユーロに上る[55]。2011年には高いレベルの公債により連邦および州安定理事会 (Stabilitatsrat von Bund und Landern) より財政危機都市の宣言をするよう促されている[56]
行政区詳細は「ベルリンの区および地区一覧」および「ベルリンの行政区」を参照

ベルリン州は12の行政区(Bezirk)で構成されている。2001年まで23区が設置されていたが、現在は行政改革によりそれぞの区の権限が強化され、行政区の再編が行われた。各行政区には複数の地区(Ortsteil)が含まれる。その歴史は1920年10月に設定された大ベルリン以前の旧自治体に由来する。大ベルリンに合併され都市化されたが、多くの市民は自分の居住する地区や行政区に強い一体感を持っている。現在のベルリンには96の地区があり、それらは通常、いくつかの街区を形成しベルリンの方言で Kiez(キーツ)と呼ばれ小規模な住宅地を指している。

それぞの行政区には、選挙で地区から選ばれた議員からなる区議会(Bezirksamt)を有し[51]、区長(Bezirksburgermeister)と5人の参事委員(Bezirksstadtrate)からなる執行機関がある[51]。各行政区は自治体としては独立していないが、基本的な行政サービスの提供を担い[51]、ベルリン州政府(ベルリン参事会)の補助的な役割を果たす。12の区長は「区長会議」を設置し(議長は市長が務める)、州政府に助言を行う[51]

Ortsteile には行政的な権限や義務は無く、以前の地区の代表者であった Ortsvorsteher は区長に引き継がれている。ベルリンの行政区画

ベルリン州は、12の区(Bezirk)に区分される。

ミッテ区(Mitte)

フリードリヒスハイン=クロイツベルク区(Friedrichshain-Kreuzberg)

パンコウ区(Pankow)

シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフ区(Charlottenburg-Wilmersdorf)

シュパンダウ区(Spandau)

シュテーグリッツ=ツェーレンドルフ区(Steglitz-Zehlendorf)

テンペルホーフ=シェーネベルク区(Tempelhof-Schoneberg)

ノイケルン区(Neukolln)

トレプトウ=ケーペニック区(Treptow-Kopenick)

マルツァーン=ヘラースドルフ区(Marzahn-Hellersdorf)

リヒテンベルク区(Lichtenberg)

ライニッケンドルフ区(Reinickendorf)

経済ポツダム広場スカイライン

2008年のベルリンの都市GDPは950億ドルであり、世界第69位である[57]ロンドン(5650億ドル)やパリ(5640億ドル)の6分の1程度と経済規模はさほど大きくない。ベルリンにおける経済は、政情にしばしば振り回されてきた。この町はかつて製造業や金融の中心地として繁栄していたが、冷戦期における東西ベルリン分断によって、東西ベルリンはそれぞれ東ドイツと西ドイツの経済に組み入れられることとなる。東ベルリンは、東ドイツの商業、工業、金融、輸送の中心となり、シュプレー川の重要な内港としての機能を擁し、運河によってバルト海とも結ばれた。一方、第二次世界大戦で破壊された西ベルリンの経済は、ソ連が1948年から1949年に実行したベルリン封鎖によって再び打撃を被った。しかし1950年代に入ってからは、アメリカによるマーシャル・プランの経済援助のおかげでベルリンは復興を始める。急速に工業化がなされ、国際金融や学術、研究、映画産業の中心ともなり、高速道路や鉄道、運河、空路で西ドイツと結ばれた。1989年のベルリンの壁崩壊によって、東西ベルリンは再び一つの町となる。経済統合は公式には1990年7月に開始し、特に東ベルリンの経済はかつての国有企業が民営化されるなど大きな変動を経験することとなった。東西再統一を果たしてからは、ベルリンの経済状況は当初思われた程には向上しなかった[12]。ドイツの首都にして最大の人口を擁する都市ではあるが、都市間のネットワークを重視した世界都市調査(GaWC)では、ドイツ国内ではフランクフルトミュンヘンハンブルクデュッセルドルフより低い評価を受けている[58]


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