ベルリンの壁崩壊
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この西側各国との記者会見には400人の記者が出席しており[55][注 15]東ドイツ国営放送で生放送された。

この日の記者会見は中央委員会での諸決定についての型通りの報告や行政改革や閣僚の交代などについての発表が続いた後[74]、6時53分、イタリア国営通信ANSAのリッカルド・エールマン(イタリア語版)主席通信員が質問に立った[74][注 16]

エールマン

貴方が示された数日前の旅行法案が大きな過ちであったとお考えではありませんか。


シャボフスキー

いや。私はそうは思いません。旅行をしたり、ドイツ民主共和国を出たいという住民の中のこうした傾向、住民のこうした欲求を我々は承知しています。従って我々は一連の事情を通じて、旅行法もその一つですが、行きたいところに旅をする、市民の自主的な決定のチャンスを与えたいと望んでいます。…我々は当然…気掛かりなのですが、この旅行法の可能性が…法律はまだ発効していませんし、確かに草案です。もちろん本日、私の知る限りでは一つの決定が下されました。恒久…その言い方がきわめて適切か適切でないかはともかく恒久的出国、つまり共和国を立ち去ることを規定する条文を旅行法草案から抜き出して発効させる、という政治局の勧告をが取り上げられたのです。我々はこの出国運動が…ある友好国を経由して…行われることは非常識な事態と考えますし、友好国にとってもそれは理解に苦しむところであります。そこで…我々は本日…共和国市民の誰もが共和国の国境通過所を通って出国できるように規則化することに決定しました[75]

上述のように、シャボフスキーは文書の内容を正確には把握していなかったが、さらに、政令案の通知文が既に記者達に配布済であると思い込んでいた。そのため、エールマンら記者にとってはシャボフスキーの回答が初耳であり、エールマンがその内容を問いただした。

エールマン

それはいつからなのですか。


シャボフスキー

えっ、何ですか。


エールマン

直ちにですか。


シャボフスキー

つまり皆さん、私のところにはその通知が来ていますが、そうした通知はもうすでに…広く連絡済みで…あなた方はすでにお持ちでしょう[71]。我々はもう少々手を打った。ご承知のことと思う。なに、ご存じない?これは失礼。では申し上げよう[76][注 17]

ここでシャボフスキーはクレンツから渡された報道発表用の書類を取り出し、内容を読み上げた。

シャボフスキー

よろしい。外国への個人旅行はそのための諸前提(旅行目的と親戚関係)を欠いても申請が可能である。許可は短期間で与えられる。民主共和国の人民警察所轄署VPKAの旅券・住民登録担当課は恒久的出国のためのビザを即刻交付するように命令を受けている。その際には恒久的出国のための現行法の諸前提が整っている必要はない。恒久的出国は民主共和国から連邦共和国への全ての国境通過検問所を経由して行う。したがって民主共和国の国外代表部が暫定的に付与できる出国許可や共和国の身分証明書による第三国を通じての恒久的出国は不要となる。…旅券問題は今は答えられません。それは管轄外の問題でもあります。私には全く解りかねますが、旅券は…まぁ誰もが旅券を持てるためにまずもって交付されるべきでしょう。…ところで我々が欲したのは…[77]

この政令案は、この日中央委員会で承認されたが、まだ閣僚評議会(内閣)の閣議では決定されておらず、正式な政令ではなかった。本来この政令は、この記者会見よりも後のタイミングで閣議決定を行い、11月10日に発表し、直ちに発効することになっており、シャボフスキーに渡された政令案の文書が10日に報道発表するための文書であったが[78]、細かい事情を把握していなかったシャボフスキーは、すでに閣議決定されており、また公表もされているものと勘違いしていた[注 18]。ちなみに実際に記者会見の後、政令は正式に閣議決定され、東ドイツ国営通信が政府報道官の発表として伝えている[79]

口頭で政令の内容を伝えた後、エールマンから発効のタイミングについての問いがあった。本来の発行日は翌10日であったが、シャボフスキーの手元の文書には、発効期日は書かれていなかった。

エールマン[注 19]

それはいつ発効するのですか。


シャボフスキー

私の認識では『直ちに、遅滞なく』ということです(Das tritt nach meiner Kenntnis… ist das sofort, unverzuglich.)[70][80][注 20][注 21]

映像外部リンク
「直ちに、遅滞なく、です」と答えるシャボフスキー
1989年11月9日
"Sofort, unverzuglich" - ARDターゲスシャウ(tagesschau.de)
問題の発言はリンク先の動画で55秒頃から。


この直後にアメリカNBC放送のトム・ブロコウ記者から「ベルリンの壁はどうなるのか?」「西ベルリンに東ドイツ市民は行けるのか?」との質問があった。シャボフスキーが文書を見ると、「西ドイツ及び西ベルリンへの越境は許可される」と書かれてあったため、「常時出国は東西ベルリン間を含む東西ドイツ間のどの国境検問所からでも行える」と答えて、質問に肯定する素振りを見せた[81][68]

これでシャボフスキーは「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」と、勘違いで発表してしまったのである。「東ドイツの全ての国民が東ドイツの国境検問所を使って国を離れることを可能にする」「外国への個人旅行は現在のビザ要件を提示したり、旅行の必要性や家族関係を証明したりしなくても申請できます。旅行許可は短期間で発効されます」「遅滞なく発給するように指示されます」と述べたのであった。
マスメディアの報道

東ドイツでは言論統制で出版物や新聞・雑誌の発行及び西側からの持ち込みも禁止されていたが、唯一電波だけは防止することができなかった。東ドイツ領内の中心に位置するベルリンの西側から電波を発信していて東ベルリン120万人が西ドイツ側のテレビ放送局ドイツ公共放送連盟(ARD)と第2ドイツテレビ(ZDF)を視聴できた。この他に西ベルリンを含む東西ドイツ国境沿いで8カ所のテレビ塔を立てて東ドイツ国内に自国のテレビ番組が見られるように電波を飛ばしていて[注 22]、南東部のライプツィヒやドレスデン一帯には地上波は届かなかったが(その代わりパラボラアンテナで衛星放送が受信できた)、およそ東ドイツの7割近くが受信可能であった[83]

この11月9日夜の記者会見の模様は、東ドイツ国営テレビニュース番組において生放送されていた。東ベルリンも西ベルリンのテレビ電波が受信できるので東西市民は互いのテレビ番組を視聴することが可能であった。

またラジオも同様であった。西ベルリン市内に中継局が存在する西ドイツのラジオ局の他、夜になると電離層反射で遠くイギリスやスウェーデンの放送も受信することができた。短波放送に至ってはアメリカ合衆国日本のものさえ受信可能のケースがあった。

そしてこれを見ていた東西両ベルリン市民は戸惑い半信半疑となった。この発言が出た時、時刻は午後7時を少し回っていたが、それから4分後にはロイター通信ドイツ通信(DPA)・AP通信の各通信社は速報を出した。混乱してロイター通信とドイツ通信は『旅行に関する新しい取り決め』があった事実に重きを置いた打電であったが、AP通信は「境界が開かれる」と打電している[84]。7時17分にZDFがニュース番組「ホイテ(今日)」で放送し、7時30分からの東ドイツ国営テレビのニュース番組「アクトゥエレ・カメラ(今日の映像)」では2番目にこのニュースを伝えた。ただどちらも「旅行に関して新しい規則ができた」と報じただけであった。

しかし7時41分にドイツ通信(DPA)は「西ドイツと西ベルリンへの境界が開いた」と打電し、そして午後8時に西ドイツのARDがニュース番組「ターゲスシャウ」で冒頭にアンカーマンのハンス=ヨアヒム・フリードリッヒが「今日11月9日が歴史的な日となりました。東ドイツが国境を開放すると宣言しました。」と報道した[85]。またほぼ同時刻に、記者会見の場で質問に立ったアメリカNBCのトム・ブロコウ記者が、ブランデンブルク門の所にある検問所付近の壁を前にして「これは歴史的な夜です。東ドイツ政府がたった今、壁の向こうへ通行できると宣言しました。何の制限も無しです。」とNBC放送の電波に乗せて全米にレポートした[86]
国境検問所

東西ベルリン間の国境検問所は、ボルンホルム通り[注 23]・ショセー通り・インヴァリーデン通り・フリードリッヒ通り[注 24]・ハインリッヒハイネ通り・オーバーバウム橋・ゾンネンアレーの7カ所あったが、やがて検問所の前に市民が集まり、通過しようとする市民と政府から何も指示されていない国境警備隊との間でこの記者会見でのシャボフスキーの発表を巡りトラブルが起きた。


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