ベルリンの壁崩壊
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これはベルリン以外の東西ドイツ国境での逃亡未遂も含めての数であり、ベルリンの壁を超えようとした未遂及びその準備をした者はおよそ6万人以上とみられ、有罪判決を受けて、平均4年の禁固刑であった。そして逃亡幇助の計画準備の場合は実行者より重く終身懲役刑を科されることもあった。

壁が破壊されるまでの間、東ベルリンから壁を越えて西ベルリンに行こうとした住民は、運よく西へ逃れた人以外は東ドイツ国境警備隊により逮捕されるか、射殺されるか、或いは途中で力尽きて溺死か転落死であった。
壁の意味

壁の建設は、東ドイツの体制が強制に依存しており、住民が国土を離れることを暴力によって妨げる以外にその崩壊を回避できないことを示すもので、ソ連がヨーロッパの前進地であるドイツを放棄するつもりが無く、その崩壊を手をこまねいて見ていることができないことを証明した。そしてこの措置は西側に対決するものでなく、東ドイツ人にとっての利益に対立するものであった[5]。そしてソ連のフルシチョフ首相とアメリカのケネディ大統領の間で、暗黙の了解として、西ベルリンの米英仏3ヵ国の駐留権、及び西ベルリンへの自由通行権、西ベルリン市民の政治的自己決定権を侵さないことを前提にした壁の建設であった。それまで米ソ首脳を悩ませたベルリン問題は、1958年のフルシチョフの自由都市宣言の最後通牒の主張から大きく後退して、以降安定し固定化した。

それは東ドイツの人々にとって、以後東ドイツを離れることができなくなり、彼らの不自由はもはや逃れることのできない運命となったことを意味した[6]。また体制に反対する人々の大半は脱出して、単に労働力の流出を防止しただけでなく、現在の状況と折り合っていく道を選ぶしか無いという意識を人々に与えたことの影響は大きく、ドイツ社会主義統一党(SED)にとっては国家運営がしやすい環境が整備された[7]
東ドイツの苦境

ソ連は東ドイツの創設者であり、長年にわたり事態発展の成り行きに影響を及ぼし、東ドイツの存続の生殺与奪権を握っており、壁崩壊で東ドイツが消滅するまでそうであった。東ドイツが国民を実質的な監獄体制下におき、本質的に抑圧に基づいていたことは、鉄のカーテンベルリンの壁によって物理的な力で国の安定を保障し、それに依存していたことから明らかで、政治的には破綻した国家であった[8]

一方で、1970年代に入ると東西ドイツ間で相互を実質的に国家承認、国交が樹立し、大規模な経済援助なども行われた。
経済の悪化詳細は「ドイツ民主共和国の経済」を参照

東ドイツ経済は、1960年代にはヴァルター・ウルブリヒト政権がある程度の自由主義経済(「新経済システム」(Neues Okonomisches System 、略称NOS))を取り入れることによって発展し、東側陣営では随一の繁栄を誇った。しかし、ソ連の圧力による1971年のウルブリヒト失脚、そして1973年の第一次石油危機のあと、経済当局の組織硬直により、産業構造の転換に失敗し、東ドイツ経済は不況に陥る。エーリッヒ・ホーネッカードイツ社会主義統一党(SED)書記長、国家評議会議長)率いる東ドイツ指導部は危機打開のために、東西ドイツ基本条約(1972年)で事実上の「国交」を結んだ西ドイツから経済援助を受け、これを助成金として国内各所にばらまくことで経済を成り立たせていた。

この事実はホーネッカー退陣直後に暴露されたが、すでに東ドイツ経済は経済援助に頼りきりになっており、収支バランスを均衡にするためには東ドイツ市民の生活水準を30%前後切り下げることが必要であった[9]。この時点ですでに人口流出が止まらなくなっており、この暴露からほどなくして東ドイツは消滅した。
分断国家の思想統制

ホーネッカーは1980年代に入ってからのハンガリー人民共和国ポーランド人民共和国での社会変革への動きとは対照的に、秘密警察である国家保安省(シュタージ)を動員して国民の束縛と統制を強めていた。

他の東欧の社会主義国と違って、分断国家である東ドイツでは「社会主義のイデオロギー」だけが国家の拠って立つアイデンティティであり、政治の民主化や市場経済の導入といった改革によって西ドイツとの差異を無くすことは、国家の存在理由の消滅、ひいては国家の崩壊を意味するため、東ドイツ政権は1980年後半に東欧に押し寄せた改革の波に抗い続けていたのである[10]。東ドイツは他の東欧諸国にない厳格なイデオロギー国家であり、ナショナル・アイデンティティが欠如しており、それだけマルクス・レーニン主義が他の東欧諸国よりも重要な意味を持っていた国家であった[11]。それを一番強く意識していたのが他でもないホーネッカーら党指導部であり、あくまでも教条主義的なマルクス・レーニン主義に固執する以外に国家が生存する道は無いと考えていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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