ベルギー
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独立

 - 宣言
 - 承認ネーデルラント連合王国より
1830年10月4日
1839年
通貨ユーロ (€)(EUR[注釈 2][注釈 3]
時間帯UTC+1 (DST:+2)
ISO 3166-1BE / BEL
ccTLD.be
国際電話番号32
^ a b “ ⇒UNdata”. 国連. 2021年11月5日閲覧。
^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年11月5日閲覧([1])

ベルギー王国(ベルギーおうこく、: Koninkrijk Belgie、: Royaume de Belgique、: Konigreich Belgien)、通称 ベルギーは、西ヨーロッパに位置する連邦立憲君主制国家。隣国のオランダルクセンブルクと合わせてベネルクスと呼ばれる。

首都ブリュッセル首都圏地域欧州連合(EU)の主要機関の多くが置かれているため「EUの首都」とも言われており、その通信・金融網はヨーロッパを越えて地球規模である。憲法上の首都は、19の基礎自治体からなるブリュッセル首都圏の自治体のひとつ、ブリュッセル市である。
概要

ベルギーは19世紀ネーデルラント連合王国から独立した国家で、オランダ語の一種であるフラマン語が公用語の北部フランデレン地域と、フランス語が公用語の南部ワロン地域とにほぼ二分される(このほかにドイツ語が公用語のドイツ語共同体地域もある)。

建国以来、単一国家であったが、オランダ語系住民とフランス語系住民の対立(言語戦争)が続いたため、1993年にフランデレン地域ワロン地域とブリュッセル首都圏の区分を主とする連邦制へ移行した。
国名

正式名称は、

オランダ語:  Koninkrijk Belgie[ヘルプ/ファイル](オランダ語発音: [?b?lxi?][1] コーニンクレイク・ベルヒエ[注釈 4]

フランス語: Royaume de Belgique(フランス語発音: [rwajom d? b?l?ik] ロワイヨーム・ドゥ・ベルジク)

ドイツ語 : Konigreich Belgien(ドイツ語発音: [?ko?n?cra?c ?b?l?i?n] ケーニヒライヒ・ベルギエン)

英語表記は、Kingdom of Belgium(英語発音: [k?´?d?m ?´v be´ld??m][2] キングダム・オブ・ベルジャム)で形容詞はBelgian(ベルジャン)。ラテン語表記もBelgium(ベルギウム[3])である。

日本語の表記はベルギー王国。通称はベルギー。漢字による当て字で白耳義と表記され、白と略される。オランダ語の「Belgie(ベルヒエ)」に由来し、江戸時代にオランダ商人が来航した際に伝わったのをそのまま文字読みしたものである。

ベルギーという名称は、かつてのガリア北東部の呼称「ベルガエ」、もしくは同地に住んでいたベルガエ人に由来するとされる。
歴史詳細は「ベルギーの歴史」を参照
古代

ベルギーと称される地域には、旧石器時代ごろより農耕と漁労を主とする人類の定着が見られる[4]新石器時代に入り、大西洋の海進によって温暖化が進むと中央ヨーロッパから移住してきた種族が定住を始め、牧畜技術の移入と農耕技術の革新をもたらした[5]。こうした民族と文化の移入は紀元前1000年ごろまで続き、社会的組織の構築や金・銅・錫の生産、ドルメンといった文化移入の痕跡が見られる[5]。また、エジプト産のビーズなども発見されていることから、この時代、地中海世界の広い範囲で行われた交易に参加していたとも考えられている[5]。紀元前6世紀ごろにケルト人ライン川を渡って到来し、移住してくると、彼らによって火葬の文化や鉄器がもたらされた[5]

紀元前後になるとローマ人との接触が始まり、ガイウス・ユリウス・カエサルが紀元前57年に著した『ガリア戦記第二巻』に、この地に居住する民族について初めて言及がなされた[5][6]。カエサルは同地に居住するゲルマン人との共通性を持つケルト人の多くを総称してベルガエ族と呼んだ[5]。ベルガエ族は多数の部族に分かれてベルギー地方で生活していたが、ガリア戦争を経て同地は紀元前51年にガリア・ベルギカとしてローマ帝国の属州となった[6]。ローマはその版図をライン川まで広げてゲルマニアの征服へと乗り出し、その過程で遠征拠点の都市としてトンゲレントゥルネーアルロンといった植民都市が築かれた[6]

アウグストゥスの時代にベルギーを含むライン川左岸からフランス東北部にわたる地域がベルギカ州に組み込まれたが、ドミティアヌスは東部国境線を東進させてライン川沿いの地域をベルギカ州から分離させて上下ゲルマニアとし、今日のベルギーを構成する大部分の地域はこのとき下ゲルマニアに組み込まれた[7]

3世紀に入り、海進によって居住地を失った人々が大規模な移住を始めた。これによってフランク族がライン川を越えてローマ帝国へ侵入し、ライン川近郊の多数の都市が占拠されていくと、帝国の国境はブローニュケルンを結ぶ軍用道路線まで後退した[6]。こうして北部ではゲルマン人の定着に伴うフランデレン語が、南部ではワロン語が浸透していき、その結果生まれた境界線は以降のベルギーにおけるラテン系・ゲルマン系という民族紛争、言語戦争の起源となった[8][9]。フランク族の侵入によって徐々に弱体化していったローマ帝国のフラウィウス・クラウディウス・ユリアヌスは、358年サリ族トクサンドリア定着を認めた。
中世

481年、次第に勢力を強めるサリ族の王に即位したクローヴィス1世トゥルネーを首都とするメロヴィング朝を建国した[9]。クロヴィス1世はその後、ローマ帝国ガリア地方の軍司令官シアグリウス、ライン地方のテューリンゲン族(ドイツ語版、英語版)、ルクセンブルク南部のアレマン族ブルグント王国西ゴート王国といった勢力を次々と打ち倒し、北海からピレネー山脈に至る広大な領地を獲得した[9]。しかし、クロヴィス1世没後は王国領土が4人の遺子に分割相続され、内部対立による衰退が進んだ[10]

7世紀中盤ごろになるとアウストラシア宮宰としてピピン2世が頭角を現し始めた。687年テルトリーの戦いネウストリアに勝利すると、フランク王国における支配権を確立した。732年カール・マルテルの時代にトゥール・ポワティエ間の戦いにおいてウマイヤ朝に勝利、751年にはピピン3世がクーデターを断行し、メロヴィング朝に代わり、カロリング朝が興った。754年ランゴバルド王国を討伐して獲得したラヴェンナを教皇に寄進することにより宗教的後ろ盾を得ることとなり、フランク王国は宗教的国家という特色を持つようになった[11]カール大帝の時代になるとフランク王国は今日のフランス・ドイツ・イタリアに相当する地域を統一し、東ローマ帝国を凌ぐ大国となった[11]800年サン・ピエトロ大聖堂においてレオ3世より西ローマ帝国の帝冠を授与された(カールの戴冠)。民族大移動以来、混成していた西ヨーロッパが東ローマから独立した存在としてまとまり、ギリシャ・ローマ的要素、キリスト教的要素、ゲルマン的要素が融合して新しい文化圏を形成した中世ヨーロッパ世界が確立した[12]

カール大帝が没し、ルートヴィヒ1世の治世が終わった843年ヴェルダン条約によって王国は東フランク王国西フランク王国ロタリンギアに分けられた。さらに870年メルセン条約によってロタリンギアは東西フランクに分割吸収され、この結果、ベルギー地方はスヘルデ川を境として分裂することとなった[13]。また、9世紀初頭より始まったノルマン人襲来の脅威から身を守るため、各地で地主や司教たちを中心としてフランドル伯領ブラバント伯領リエージュ伯領エノー伯領ナミュール伯領リンブルク伯領ルクセンブルク伯領といった封建国家が誕生した[13]。中でもフランドル伯領は、リンネルの交易によって「ヨーロッパの工場」としての地位を築き上げ、ブルッヘヘントといった都市を中心に繁栄を誇った[14]

10世紀に入ると城や砦に隣接して誕生した居住地(ブルグス)の住民は共同体を形成するようになり、キヴェスやブルゲンセスといった呼称で統一的に呼ばれるようになった[15]。特にブルゲンセスは何らかの特権を賦与された住民層を示す語となり、外来者や下層民らと自身を区別する意識を持つようになった。彼らは土地の所有など一定の条件を満たす者同士で宣誓共同体(コミューン)を結成して法人格を持つグループを構成した[16]。コミューンを通して領主との双務的契約の締結がなされるようになり、コミューンは金銭の支払いや領主への奉仕を交換条件として税の免除や一定の自治権の取得といった特権を獲得していった[17]。こうして都市は領主と一部の特権階級者によって支配されるようになり、一般市民との対立を招く結果となった[18]
14世紀以降

1337年、フランドル伯領の諸都市はイングランドエドワード3世の支援を受けて反乱を起こした。一時的に諸都市はイングランドとの通商や種々の特権を獲得することに成功するが、1381年にはフランドル伯の反撃を受け、ブルッヘが征服されてしまう。この結果、フランドル地域はフランドル伯死後にブルゴーニュ公国に組み入れられることとなった[19]

フィリップ豪胆公から始まるブルゴーニュ公国は、「飛び地」として獲得した豊かな産業を持つフランドル地方の経済力を背景として版図の拡大を図った[20]


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