ベルギーの戦い
[Wikipedia|▼Menu]
ハプスブルク領ネーデルラント1482-1556

近世

北方ルネサンス15C-16C
スペイン領ネーデルラント1556-1714
*ネーデルラント17州1549-81
*オランダの反乱(英語版)1568-1648
オーストリア領ネーデルラント1714-93
*ブラバント革命1789-90
*リエージュ革命(英語版)1789-91
フランスによる統治(英語版)1793-1815

近代

オランダによる統治1815-1830
ベルギー独立革命1830-1831
レオポルド1世1831-65
*ロンドン条約1839
レオポルド2世1865-1909
*第一次学校戦争(英語版)1879-84
*コンゴ自由国1885-1908

現代

ベルギー領コンゴ1908-1960
アルベール1世1909-1934
第一次世界大戦1914-18
*ドイツ帝国による侵略(英語版)1914
*残虐行為(英語版)1914
*ドイツ帝国のベルギー占領(英語版)1914-18
ルアンダ=ウルンディ1922-62
レオポルド3世1934-51
第二次世界大戦1940-45
*ベルギーの戦い1940
*ナチス・ドイツのベルギー占領(英語版)1940-44
*ユダヤ人迫害(英語版)1941-44
*ベルギーの解放1944-45
国王問題1944-50
ボードゥアン1世1951-93
アルベール2世1993-2013
フィリップ2013-現代

ベルギー ポータル








ベルギーの戦い(ベルギーのたたかい、英語: Battle of Belgium、Belgian Campaign)は、ナチス・ドイツのフランス侵攻における戦いのひとつである。

1940年5月10日ドイツルクセンブルクオランダベルギーを抜けてフランスへ進撃することを目的とした作戦、「黄作戦(Fall Gelb)」を発動した。連合軍はそれが主力であると考え、ベルギーでドイツ軍を食い止めるため、最良の師団をベルギーに向かわせたが、ドイツ軍が作戦の第二段階を発動、アルデンヌの森を突破してイギリス海峡へ向かって進撃を重ね、5日後には海岸へ到達、連合軍は包囲されることとなった。ドイツ軍は徐々に海岸方面へ進撃、包囲網を縮め始めた。ベルギー軍は戦いの終了した1940年5月28日、降伏した。ベルギーの戦いにおいては第二次世界大戦初の大規模戦車戦、アニューの戦いが行われている[11]。このアニューの戦いは北アフリカの戦い東部戦線が行われるまでは世界最大の戦車戦であった。さらに、降下部隊を用いた最初の戦略的降下作戦も行われた。ドイツの公式な発表では18日間の激しい戦いにおいて、ベルギー軍は手強い敵であり、その兵士たちの「驚異的勇敢さ」について語り草になっているとしている[12]
ベルギーの緊張

ドイツ軍の攻撃により、ベルギーの戦略には政治、軍事において問題が発生していた。軍事についてはフランスがマジノ線を延長することにより、ベルギー・フランス国境がドイツ軍の防波堤になる可能性が生じていたことであり、これらはドイツ軍がオランダへ進撃することにより、ベルギーをドイツ軍の攻撃に直面させることとなり、この戦略ではフランス軍が素早くベルギー国内に進駐してドイツ軍の攻撃を防ぐようにしなければならなかった[13]

政治的な部分において、ベルギーはフランスを信用していなかった。フランスのフィリップ・ペタン元帥は1930年10月、1933年1月を契機として、ベルギーを利用してドイツ、ルール地方の占領を提案した。ベルギーはそれを契機として戦争に巻き込まれることを恐れ、それを避けようとした。さらに1935年5月、フランス、ソビエト連邦の間で結ばれた協定の結果、ベルギー人たちは戦争に巻き込まれることを恐れていた。そのため、フランス、ベルギー間の合意により、ドイツ軍が攻撃を行う場合、ベルギーは軍を動員することを規定していたが、ポーランドへドイツ軍が侵入した場合、ベルギー軍を動員するかどうかは明白ではなかった[13]

さらに、ベルギーはイギリスとの同盟を強く望んでいた。第一次世界大戦において、ドイツ軍が中立国であったベルギーへ侵入したことにより、イギリスはドイツに対し宣戦布告を行い、大戦に参加していた。ベルギーにおける港湾設備はドイツ海軍に価値のある基地を提供することとなり、そしてベルギーの港湾設備がドイツによって占領されることにより、イギリスに対しての戦略的攻撃を行うためのドイツ海軍、ドイツ空軍の基地を提供することになる恐れがあった。しかし、イギリス政府はベルギーの懸念に全く注意を払うことがなかった。そして、ドイツによるラインラント進駐[13][14]、フランス・イギリス両国にドイツと戦う勇気がないとベルギーに信じさせるには十分な出来事であり、ラインラント進駐の前日、ベルギーが西側連合軍から抜ける理由となっていた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:192 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef