(上記の理由から)ベノナ文書を証拠として採用するのは不適切[21]。
アメリカ国家安全保障局(NSA)
(上記の理由から)KGBの記録に、ヒスの名前が発見されたと”推定される”。アレスは”恐らく”ヒスであるとして、断定はしていない[22]。
ジェフ・キッセロフ(歴史家)
ヒスに関する矛盾点[23]
暗号名”アレス”がメキシコシティにいた頃、ヒスはワシントンにいた。
ノエル・フィールド(NKVDのスパイ)を採用したとされる時期、フィールドはロンドン軍縮会議のため、アメリカ国内にいなかった。
ウィテカー・チェンバース(元共産党員)が証言した、ヒスが持ち帰ったとされるメモは彼の手元になかった。
ヘーデ・マッシング(共産主義者)は、国外追放の圧力の下で証言しており、虚偽の陳述をしている。
マッシングはヒスに会う1週間前、(氷点下になる)真冬のポトマック川で夫と遊泳したと証言。
マッシングは彼女の本を精査したFBIに、事実を隠すために捏造したことを認めた。
ヒスが米共産党の主宰者に車を寄付したという件で、譲渡証明書の署名が偽造されていた。
ドミトリー・ヴォルコゴノフ上級大将(反ソ連の公文書監督者)
ヒスがソ連の代理人として働いたことは一度もない[24]。
ジュリアス・コビャコフ少将(SVR)
マッシングとフィールドの個人ファイルを調べたが、ヒスに関するものは1つもなかった。ヒスは”アレス”ではない[25]。
ヴィクター・ナヴァスキー(ジャーナリスト)
アレン・ワインスタインの著書『偽証罪: ヒス・チェンバース事件』に登場する全員が誤用されたと答え[26]、その1人サム・クリーガーはワインスタインから慰謝料をもらい、謝罪と訂正を公表すると約束したが守られていない[27]。
ベノナ文書を根拠にヒスをスパイとする人々は、みずからが支持する情報だけを集めて、ウラジーミル・パブロフ(外交官)が回顧録で否定した事など、相反する反証を無視している。ベノナ文書は冷戦構造を歪曲するために利用された[28]。
ハーベイ・クレア(歴史学教授)
『米国にソ連のスパイがいた』は大枠として正しいが、細部は間違っていて単なる魔女狩りだった。小物のスパイは判明したが、その他は立証されていない[29]。
アサン・テオハリス(FBI/ジョン・フーバー/米諜報機関専門の歴史家)
FBIはマッカーシズムを促進しながら、防諜の失敗を隠ぺいした[30]。
アレン・ワインスタイン(官僚・歴史家・大学教授)
ベノナ文書は説得力はあるが、決定的ではない[31]。
エドゥアルト・マーク(研究家)
ヒスは”アレス”だった可能性のある1人にすぎない[32]。
ヴィターリー・パヴロフ中将(NKVD米国部副部長)
ハリー・ホワイトは工作対象でスパイではない。財務省には2人のエージェントがいて、それ以上の情報源は不要だった[33]。
ブルース・クレイグ(諜報専門の歴史家)
交換された情報は法律の範囲内だったため、多くの人はホワイトの行動をスパイ行為と見なしておらず、現在の法的基準でもスパイ行為には当たらない[34]。
ベン・ステイル(経済学者)
ホワイトはマルクス主義者ではなく、ケインズ経済学派である[35]。 代表的な暗号名一覧[7]実名暗号名
ヴェノナファイルに登場する暗号名
フランクリン・ルーズベルト第32代米合衆国大統領キャプテン(船長)
ヘンリー・モーゲンソウ 米財務長官ネイボッブ(太守、成金)
ウィンストン・チャーチル英首相ボア(猪)
シャルル・ド・ゴール自由フランス代表、仏大統領ラス
ウィリアム・ドノバン米OSS局長アナウンサー
陸軍省アーセナル