ベネディクト16世
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通常、教皇帰天に伴う使徒座空位発生の場合は4-6日後に実施される葬儀の後に9日間の服喪期間が発生するが、ベネディクト16世の辞任は存命のまま行われているので服喪期間は発生していない[49]

ローマ教皇が自ら辞任を申し出るのは歴史上極めて異例であり、教会大分裂の解消のために1415年に辞任したグレゴリウス12世以来598年ぶりのことである。グレゴリウス12世の辞任は本人の同意が存在したとされているものの「教皇鼎立の解消」という政治的な事情が背景にある事実上の廃位であり、自身の意思で辞任するのは1294年ケレスティヌス5世の辞任以来719年ぶり、史上2人目となる[50][51][52]

教皇の辞任は教会法に規定があるものの、先例が数百年以上前になるために辞任後の教皇の称号や権限などの処遇は教会法で明確に規定されていなかった。このため退職した司教が「名誉司教」と呼ばれることにならい「名誉教皇 (Pope emeritus)」という称号が新設された。また「名誉教皇」も「教皇名」と「聖下」の尊称で呼ばれる。「名誉教皇聖下」と呼ばれた人物はこれまでになく、ベネディクト16世が最初の例となる。また服装も教皇と同様に純白のスータンカロッタと呼ばれる帽子を着用する。しかしケープと飾り紐と「教皇の赤い靴」の着用はない。前例であるケレスティヌス5世は退任後すぐに幽閉され、10か月後に死亡している。

辞任後のベネディクト16世はバチカン内にあるマーテル・エクレジエ修道院に居住することとなった[53] が、2013年2月時点では改装中であったため辞任までには間に合わず、暫定的にガンドルフォ城に滞在することとなった。辞任時点でバチカンから離れていたことで、結果的にコンクラーヴェから前教皇を隔離する意味も持つこととなった。

辞任した教皇はコンクラーヴェには参加しない。そもそもコンクラーヴェの参加資格は「使徒座空位発生日(今回は2013年2月28日)時点で80歳未満の枢機卿」であるため、ベネディクト16世はこの条件を満たしていない。辞任と同時に「使徒座空位」が宣言され、教会は枢機卿団の管理に入った。この間辞任した教皇はいかなる言動も取らない。カメルレンゴは2007年にベネディクト16世が任命したタルチジオ・ベルトーネ枢機卿が務めた。教皇が死去していないため、服喪のための9日間の祈りは行わず、3月4日から8日にかけて枢機卿会議が行われ、3月12日からコンクラーヴェが開始された。通常教皇選挙は使徒座空位発生日から15-20日目の間に開始されるが、ベネディクト16世が要請を受ける形で辞任直前に規定を改め、有権者が全員揃えば開始の前倒しを可能とし、実際に3日の前倒しが行われて12日からの開幕となった。コンクラーヴェは、使徒座空位発生時の2013年3月1日時点で80歳未満で同日までにローマに集合した枢機卿によって行われた。参加条件を満たした115名の枢機卿(ヨーロッパ62名、ラテンアメリカ19名、北米14名、アフリカ11名、アジア11名、オセアニア1名)により、3月13日アルゼンチン出身のフランシスコが後継者に選ばれ、同日就任した。
帰天と葬儀サンピエトロ大聖堂バシリカに正装安置されたベネディクト16世の遺体。マウロ・ガンベッティ主席司祭(英語版)が聖水を遺体にふりかけている。詳細は「en:Death and funeral of Pope Benedict XVI」を参照
帰天

中央ヨーロッパ時間2022年12月31日9時34分にバチカンにある修道院において帰天[54][55][56]崩御[57])。寶算95。
葬儀

遺体は2023年1月2日にサン・ピエトロ大聖堂に安置され[58]、葬儀は1月5日にサン・ピエトロ広場で執り行われ、遺体はサン・ピエトロ大聖堂の地下墓地に埋葬された[52][59]
批判
性的虐待事件への対応「カトリック教会の性的虐待事件」も参照

2009年になってアイルランドドイツ、アメリカ合衆国におけるカトリック聖職者による児童性的虐待事件が報道されるようになった。このスキャンダルに関してカトリック教会およびベネディクト16世への批判が高まり教会への不信は戦後最悪ともされる状態にまで陥り、教皇の辞任を求めるデモも発生していた。

アイルランドにおける事例については2009年末にアイルランド政府が公表した報告書が騒動のきっかけとなった。この中では1930年から80年代にかけて、教会の運営する施設において数百人の聖職者が少なくとも2500人の少年少女に性的虐待を加えたと述べられており、さらに組織的な隠ぺいがあったと結論している。ベネディクト16世は事件のもみ消しを図ったショーン・ブレイディー枢機卿の処罰を行っていないことが批判された。

300人以上もの被害者が報告されているドイツにおける事件では、教皇が大司教であった1980年の南部ミュンヘン教区においても被害者が存在すること、教皇の実兄が指揮者を務めたレーゲンスブルク聖歌隊においても虐待があったこと、さらに性的虐待に関与した神父の教会施設受け入れを認めたと報道されている。

アメリカ合衆国における事例では、ある神父が1950年から1974年にかけて聴覚障害を持つ児童200人に対して性的虐待を行ったとの報告が1996年に教理省に届けられたにもかかわらず、当時長官であった現教皇はこれに何の回答も行わなかったと報道されている[60]

これらのカトリック教会への批判に対して、教皇は3月の日曜礼拝において「つまらないゴシップにおびえることはない」と述べ隠蔽への関与を否定した。教皇に近い司教らは、報告されている聖職者による性的虐待は「一部の者の過ち」に過ぎず、「性的虐待はカトリックだけの問題ではない」「何者かの陰謀だ」などと反論している[61]。ベネディクト16世の説教師を務めるカプチン会のRaniero Cantalamessaは、“教会への批判は反ユダヤ主義に基づくユダヤ人迫害に似ている”と述べ、不適切な発言であると再度批判を受けた[62]

2013年2月11日、ベネディクト16世の退位の発表に対し、これら性的虐待被害者の団体(英語版)は、「性的虐待をするという恐怖の状態を終わらせるのにほとんど何も手を尽くさなかった」として退位を歓迎している[63]
人物・逸話

カトリック教会公用語の
ラテン語、また常用語のイタリア語はもちろんのこと、母語ドイツ語の他にも、フランス語英語スペイン語での会話ができ、片言ながらポルトガル語の素養もある。また古代ギリシア語古典ヘブライ語の文献を読解することもでき、フランス語は第一外国語だったこともあり特に堪能で、1992年以来フランス倫理学アカデミーの会員でもある。

趣味はピアノで、特にドイツ語圏の作曲家であるモーツァルトベートーヴェンの曲を好んで演奏する。またサッカー好きで、ドイツのFC バイエルン・ミュンヘンのファンクラブ会員であることも知られている。

映画『スター・ウォーズシリーズ』に登場する悪役でイアン・マクダーミドが演じる銀河帝国皇帝パルパティーンと外見がそっくりなことが、2005年にニューヨークの週刊紙『The Village Voice』で取り上げられた。ネット上には多くの「指先からフォースライトニングを出すベネディクト16世」「ライトセーバーを持つベネディクト16世」などパロディコラージュが作られた。

異例の自発的理由による退位を表明した日の夜、落雷がサンピエトロ大聖堂のバシリカの尖塔を直撃した[64][65]

2020年9月4日、生後93年4か月16日になり既存のレオ13世を超えてローマ教皇経験者史上最高齢となった。伝説上の存在としては103?104歳まで生きたとされるアガトがいるが、西ローマの帝政廃止前後の人物で生年がはっきりしない。そのため生年月日が明白な中世以降の教皇に限れば、この日以降歴代最高齢の教皇経験者である。

著書

日本語訳著作

『信仰と未来』(田淵文男 訳、あかし書房)

『まことの兄弟とは ― キリスト教的兄弟観』(吉田聖 訳、エンデルレ書店)


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