ベネディクト16世
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

超保守派聖ピオ十世会の4名の司祭の破門を解除した後に、その内の一人のリチャード・ウィリアムソンによるホロコーストに関する発言がユダヤ団体から反発を生んだことは、「ローマ法王『最大の失態』」などと報じられ禍根を残すことになった[32]
他宗教・他教派との対話

2007年10月22日にはイタリアナポリで開催された異宗教間サミットに出席し、イスラム教・ユダヤ教・正教会をはじめとする様々な宗教指導者と会合した時には、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件に言及しつつ、人類の和解を呼びかけ「私達の使命は、それぞれの宗教の相違点を尊重しつつ、世界平和と人類の和解のために尽力することだ」「争いによって引き裂かれ、神の名の下に暴力が正当化されることもあるこの世界において、宗教は憎しみの道具になり得ないと繰り返し表明することが重要だ」と述べ、異宗教の信者との誠実で公明正大な対話を重視する発言をした[33]
環境政策

環境問題はヨハネ・パウロ2世が「神の被造物である環境を破壊してはならない」と発言するなど、バチカンの取り組むべき問題であった。ベネディクト16世は環境問題に対して積極的な行動をとっている[34]。パウロ6世ホールに太陽光発電パネルを設置し、ハンガリーの植林事業に出資しCO2排出枠を買い取りバチカンをカーボンニュートラル国家にすることを試みた[34]。また世界の経済的利益のための環境対策には批判的であり、環境問題は倫理的問題と考えていた[34]。また環境が悪化すると、その国の貧困層など社会的弱者をいっそう困窮させる(環境難民)として弱者救済に関する問題としても環境問題をとらえていた[34]
不祥事
「バチリークス・スキャンダル」詳細は「バチリークス・スキャンダル(英語版)」を参照

2012年に教皇宛の告発文書がリークされる事件が起きた。漏洩した元執事の男にはバチカンの裁判所は窃盗罪で禁固18か月有罪の判決を下したが、教皇は恩赦を出している。リークした男は「教皇は操作されて」おり「不正をただすために」リークしたと動機を語っている。リークされた文書にはバチカンの行財政を取り仕切る宗教事業協会(バチカン銀行)の文書やマネーロンダリングなどバチカンの不正一掃を試みたカルロ・マリア・ビガーノ大司教が失脚の恐れがあるので教皇に助けを求める内容の文書もある。これらはバチカンの行政の長であるベルトーネ国務長官など教皇の側近に不利に働くものであった。そのためバチカンでは権力闘争が激化しているのではと考えられた。[35]
マネーロンダリング

またバチカンではマネーロンダリングが問題になっており、EUからも法の不備の指摘を受けてきた。2009年にJPモルガン・チェース銀行はミラノ支店のバチカン銀行の口座を閉鎖した。開設から短期間で口座から15億ドルものカネが他の口座に送金されており、それも毎日閉店時には残高がゼロになっていたことを疑問に思った同銀行がバチカンに回答を求めたところ返答がなかったためである。翌2010年9月にイタリア財務警察はバチカン銀行の3300万ドルの預金を凍結し、不正会計の疑いで捜査を始めた。その後2010年末にバチカンはマネーロンダリングを含む不透明なカネの流れをなくすための財務情報監視局を設置したが、2012年にはアメリカ合衆国の「国際麻薬統制戦略報告書」の「マネーロンダリングに利用される国々のリスト」にバチカンが載せられることになった。前述のカルロ・マリア・ビガーノ大司教がマネーロンダリングの根絶の陣頭指揮を執っていたが、駐米大使に異動、失脚した。イタリア銀行はマネーロンダリング排除の取り組みが足りないとの指摘し、ドイツ銀行のイタリア法人に対するバチカンでの監督業務の付与を停止した。このため同銀行のATMが使用できないなどのカード決済に不都合が生じており、「バチカンの最大の産業」である観光に悪影響が出ている[36][37]

このような不祥事は、ベネディクト16世がバチカンを統制できていないことのあらわれであり、カトリック教会の性的虐待事件(当該項目参照)とともに、教皇の心労の原因となり「疲れた」「重圧に耐えられない」ということばをラテン語で発するようになる。
辞任詳細は「ベネディクト16世の辞任」および「教皇の辞任」を参照

2013年2月11日に開催された枢機卿会議において、約2週間後の2月28日20時(中央ヨーロッパ時間)をもって自らの意思で辞任(退位)することを表明した[38][39][40][41][42]。教皇は「何度にもわたって神に対し良心に照らして考えた結果、高齢に達している我が身が教皇としての職務を達成することができないという確信を持った」とし、「素早い変化に見舞われ、信仰にとってとても大切な問題に揺れる今日の世界では、ローマ教皇には心身ともに活力が必要であるが、私にとってそうした活力がここ数か月弱ってきており、私に与えられた職務を遂行することができなくなった」とラテン語で述べた[43][44]

辞任の表明はバチカン関係者も予想していなかったとされている。枢機卿会議の取材に際してラテン語を解する記者がいたイタリアのANSA通信がスクープとしてまず報道した[45]。インターネットのSNS上でも"pope"(ローマ教皇の意)の語がトレンドのランキングで急上昇した。のちの報道では辞任の予兆が存在したとの指摘もされている。教皇が2009年ラクイラ地震の被災地を訪問した際に、ラクイラ市内のサンタ・マリア・ディ・コレマッジオ聖堂にある、教皇辞任の規定を初めて教会法に取り入れてその最初の適用者ともなった中世のケレスティヌス5世の墓を訪問した。その際に自らが教皇就任以来使用してきたパリウムと呼ばれる法衣を墓にかぶせて奉献した。これは生前に自らの意思で辞任した(当時)唯一の教皇であるケレスティヌス5世を意識してとった行動であると推測する者もいる。辞任の表明は枢機卿会議の席上で「自身の力不足を理由に辞任する」という内容の文章をラテン語で朗読することで行われたが、これは719年前にケレスティヌス5世が辞任した際と同じである。

ベネディクト16世は辞任成立まで教皇としての聖務を継続した。2月14日には一般の拝謁をうけ信徒の「愛情と祈りに感謝の意」を表明している。

2013年2月28日の夕方にバチカン宮殿からカステル・ガンドルフォに移動し、城のバルコニーから集まった信徒に対し「私はもはや教皇ではなくなる。この世における巡礼の最後をたどり始めた一人の巡礼者だ」などと語り、現役最後の日を締めくくった[46]。その後20時(中央ヨーロッパ時間)に辞任が成立し、使徒座空位となった[47]。辞任成立の時刻をもってカメルレンゴ(教皇代理)を務めるタルチジオ・ベルトーネの指示で教皇の居室が封印され[48]、古くからの伝統と新たに定められた規定に基づき、使徒座空位期間に入った。1996年に第264代教皇ヨハネ・パウロ2世が発令した「使徒憲章」(ウニヴェルシ・ドミニチ・グレジス = 主の全ての群れの牧者)では、教皇のいない使徒座空位期間中は枢機卿団によって教会統治がなされるが、通常、教皇の決裁を要する事項は代理できないことから、これらは新教皇着座後に持ち越されている(ただし、通常かつ延期できない事項はこの限りではない。実際、使徒座空位期間中の3月5日にベネズエラ大統領ウゴ・チャベス亡くなり、通常は教皇名で発せられる弔電が枢機卿団名で出された)。通常、教皇帰天に伴う使徒座空位発生の場合は4-6日後に実施される葬儀の後に9日間の服喪期間が発生するが、ベネディクト16世の辞任は存命のまま行われているので服喪期間は発生していない[49]

ローマ教皇が自ら辞任を申し出るのは歴史上極めて異例であり、教会大分裂の解消のために1415年に辞任したグレゴリウス12世以来598年ぶりのことである。グレゴリウス12世の辞任は本人の同意が存在したとされているものの「教皇鼎立の解消」という政治的な事情が背景にある事実上の廃位であり、自身の意思で辞任するのは1294年ケレスティヌス5世の辞任以来719年ぶり、史上2人目となる[50][51][52]

教皇の辞任は教会法に規定があるものの、先例が数百年以上前になるために辞任後の教皇の称号や権限などの処遇は教会法で明確に規定されていなかった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:147 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef