ベネディクト16世
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12月24日、クリスマスミサ中に女性に飛びかかられ転倒する[25]
アニメーションやコンピュータゲームについて

2007年1月24日にはアニメーションコンピュータゲームを含む、エンターテインメント作品における過激な性表現や暴力を「卑俗で背徳的であり、不快」と非難する見解を表明している。しかし「人間の尊厳を広めるなど道徳的な内容での使用であればメディアは教育を支援できる」と発言した[26]
他宗教との関係
ユダヤ教アウシュビッツ強制収容所を訪れるベネディクト16世、手前の人物はポーランドのカチンスキ大統領詳細は「w:Pope Benedict XVI and Judaism」を参照

2006年アウシュビッツ強制収容所を訪問した[27]。また2007年オーストリア訪問時にも同国の首席ラビとともに同国内の強制収容所跡を訪問した。2011年にはイエス・キリストの生涯を書いた著書の中で「エルサレムの寺院の上層部とバラバの釈放を望んだ大衆だけがイエスを非難した」としるし、ユダヤ人全体が「キリスト殺し」に責任を負うものではないと結論付けた。マタイの福音書にあるイエスの処刑のくだりからユダヤ人は「キリスト殺し」の咎で迫害されてきており、1960年代にその論理は一旦否定されていたが、再燃を受けてベネディクト16世は改めてこれを否定した[28]
イスラム教詳細は「w:Pope Benedict XVI and Islam」を参照詳細は「w:Pope Benedict XVI Islam controversy」を参照

2006年9月12日、ドイツの大学で行った講義の中で、ベネディクト16世はイスラム教の教えの一つであるジハードを批判する発言を行いメディアから批判を受けた。パキスタン議会は、9月15日に彼に発言の撤回を求める非難決議を全会一致で採択した。なお、発言にはイスラムを邪悪で残酷と評した14世紀の東ローマ皇帝マヌエル2世の「ムハンマドは、剣によって信仰を広めよと命じるなど、世界に悪と非人間性をもたらした」という言葉を引用している。

2007年には就任後初めてイスラム諸国であるトルコを訪れた。前年の「ジハード批判」に反発するデモが発生するなど混乱が見られた。このトルコ訪問ではエルドアン首相、セゼル大統領と会談したほか、イスタンブールスルタンアフメト・モスク(ブルーモスク)を訪問。その後、正教会コンスタンディヌーポリ総主教庁を訪問、総主教ヴァルソロメオス1世と会談した。
プロテスタントと東方正教会

2007年7月10日、教皇庁は「ローマ・カトリック教会は唯一の正統な教会である」との記述内容を含む文書を公表した。これには教皇ベネディクト16世が承認を与えている。同文書はプロテスタント教会についても言及し、「使徒ペテロに始まる使徒的伝承をプロテスタント教会が壊し、叙階の秘跡を損なったために、『教会』と呼ぶことはできない」とした。正教会については、使徒的伝承を守っていると評価する一方、教皇に対する認識の面で「まったき教会としては欠点がある」とした[29][30]
異端の破門解除

2008年11月に行われたインタビューにおいて、ヨハネ・パウロ2世が無断人事のかどで破門した聖ピオ十世会の4人の司教に対して、カトリック教会への復帰を呼びかける、としてその(破門の)撤回を決定し、その中にはホロコーストにおける毒ガス使用否定の発言を行ったリチャード・ウィリアムソンも含まれていた。これには、ホロコースト否定が犯罪として明記されているドイツおよびユダヤ人団体などから大きな批判が起こり、教皇はホロコーストを否定しない立場を明確に表明するとの声明を発表した[31]。超保守派聖ピオ十世会の4名の司祭の破門を解除した後に、その内の一人のリチャード・ウィリアムソンによるホロコーストに関する発言がユダヤ団体から反発を生んだことは、「ローマ法王『最大の失態』」などと報じられ禍根を残すことになった[32]
他宗教・他教派との対話

2007年10月22日にはイタリアナポリで開催された異宗教間サミットに出席し、イスラム教・ユダヤ教・正教会をはじめとする様々な宗教指導者と会合した時には、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件に言及しつつ、人類の和解を呼びかけ「私達の使命は、それぞれの宗教の相違点を尊重しつつ、世界平和と人類の和解のために尽力することだ」「争いによって引き裂かれ、神の名の下に暴力が正当化されることもあるこの世界において、宗教は憎しみの道具になり得ないと繰り返し表明することが重要だ」と述べ、異宗教の信者との誠実で公明正大な対話を重視する発言をした[33]
環境政策

環境問題はヨハネ・パウロ2世が「神の被造物である環境を破壊してはならない」と発言するなど、バチカンの取り組むべき問題であった。ベネディクト16世は環境問題に対して積極的な行動をとっている[34]。パウロ6世ホールに太陽光発電パネルを設置し、ハンガリーの植林事業に出資しCO2排出枠を買い取りバチカンをカーボンニュートラル国家にすることを試みた[34]。また世界の経済的利益のための環境対策には批判的であり、環境問題は倫理的問題と考えていた[34]。また環境が悪化すると、その国の貧困層など社会的弱者をいっそう困窮させる(環境難民)として弱者救済に関する問題としても環境問題をとらえていた[34]
不祥事
「バチリークス・スキャンダル」詳細は「バチリークス・スキャンダル(英語版)」を参照

2012年に教皇宛の告発文書がリークされる事件が起きた。漏洩した元執事の男にはバチカンの裁判所は窃盗罪で禁固18か月有罪の判決を下したが、教皇は恩赦を出している。リークした男は「教皇は操作されて」おり「不正をただすために」リークしたと動機を語っている。リークされた文書にはバチカンの行財政を取り仕切る宗教事業協会(バチカン銀行)の文書やマネーロンダリングなどバチカンの不正一掃を試みたカルロ・マリア・ビガーノ大司教が失脚の恐れがあるので教皇に助けを求める内容の文書もある。これらはバチカンの行政の長であるベルトーネ国務長官など教皇の側近に不利に働くものであった。そのためバチカンでは権力闘争が激化しているのではと考えられた。[35]
マネーロンダリング

またバチカンではマネーロンダリングが問題になっており、EUからも法の不備の指摘を受けてきた。2009年にJPモルガン・チェース銀行はミラノ支店のバチカン銀行の口座を閉鎖した。開設から短期間で口座から15億ドルものカネが他の口座に送金されており、それも毎日閉店時には残高がゼロになっていたことを疑問に思った同銀行がバチカンに回答を求めたところ返答がなかったためである。翌2010年9月にイタリア財務警察はバチカン銀行の3300万ドルの預金を凍結し、不正会計の疑いで捜査を始めた。その後2010年末にバチカンはマネーロンダリングを含む不透明なカネの流れをなくすための財務情報監視局を設置したが、2012年にはアメリカ合衆国の「国際麻薬統制戦略報告書」の「マネーロンダリングに利用される国々のリスト」にバチカンが載せられることになった。前述のカルロ・マリア・ビガーノ大司教がマネーロンダリングの根絶の陣頭指揮を執っていたが、駐米大使に異動、失脚した。イタリア銀行はマネーロンダリング排除の取り組みが足りないとの指摘し、ドイツ銀行のイタリア法人に対するバチカンでの監督業務の付与を停止した。このため同銀行のATMが使用できないなどのカード決済に不都合が生じており、「バチカンの最大の産業」である観光に悪影響が出ている[36][37]

このような不祥事は、ベネディクト16世がバチカンを統制できていないことのあらわれであり、カトリック教会の性的虐待事件(当該項目参照)とともに、教皇の心労の原因となり「疲れた」「重圧に耐えられない」ということばをラテン語で発するようになる。


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