その中では、1937年のジャンゴ・ラインハルト、コールマン・ホーキンスとの『ハニーサックル・ローズ』が有名で、後に1961年のアルバム『Further Definitions』でも同曲が演奏された。 1938年、カーターはアメリカに戻り、あらたに結成した自楽団を率いて1939年から翌年にかけてハーレムの有名なサヴォイ・ボールルームに出演した。彼の編曲は人気があり、ベニー・グッドマン、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、レナ・ホーン、グレン・ミラー、ジーン・クルーパ、トミー・ドーシーなどによって録音された。しかし、カーター自身のヒット曲はビッグバンド時代にElla Mae Morseによって歌われた『Cow-Cow Boogie』というノベルティ・ソング1曲のみである。その他1930年代にカーターが作編曲家として残した楽曲では『When Lights Are Low』『Blues in My Heart』『Lonesome Nights』などが古典とされている。 1943年、ロサンゼルスへ移住した後はスタジオの仕事が増え、『Stormy Weather』(1943)をはじめとする多くの映画・テレビ音楽を担当した[5]。 ちなみに、カーターは黒人として初めて映画音楽を作曲した1人であり、クインシー・ジョーンズはカーターを師と仰ぎ、1960年代に彼がテレビや映画の仕事を始めた時にもカーターを参考にしている。 ハリウッドでは、ビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーン、ビリー・エクスタイン、パール・ベイリー、レイ・チャールズ、ペギー・リー、ルー・ロウルズ、ルイ・アームストロング、フレディ・スラック、メル・トーメなどの編曲を担当した。なお、ビリー・ホリデイとは1958年のモントレー・ジャズ・フェスティバルでも共演している。 1945年には、マイルス・デイヴィス(トランペット)がサイドメンとしての初レコーディングをカーターの『Benny Carter and His Orchestra』というアルバムで行なっている[6]。 1958年、アール・ハインズ(ピアノ)、リロイ・ヴィネガー(ベース)、シェリー・マン(ドラムス)の新旧世代の混成メンバーによる1920年代アメリカのヒット曲を採り上げたアルバム『スウィンギン・ザ・20'S』を発表。続く1960年代にも新旧混成メンバーのビッグバンドによる『Further Definitions』(1961年)や、編曲を担当したペギー・リーの『ミンク・ジャズ』 (1962)などのスタジオ録音を残している。 1960年、自身のカルテットでオーストラリアを訪問。 1968年ニューポート・ジャズ・フェスティバルでディジー・ガレスピーと共演、同年スイスのバンドと録音する。 1969年にプリンストン大学の社会学教授モロウ・バーガーの招きで、同大学にて講義・セミナー・演奏会を行ない、続く9年間で5回プリンストンを訪れ、1973年には客員教授として1学期間務めた。1974年、プリンストンはカーターに人文科学の名誉博士号を贈った。 他の大学でもワークショップやセミナーを開き、1987年にはハーバード大学で1週間講義した。Morroe Bergerは著書『Benny Carter - A Life in American Music』(1982年)でカーターのキャリアを扱った[7]。 1989年晩夏、ニューヨークのリンカーン・センターでカーターの82歳の誕生日が祝われ、エクスタイン・アンダーソンやシルヴィア・シムスが彼の歌を歌った。同週にはシカゴ・ジャズ・フェスティバルで、『Further Definitions』が再演された。 1990年2月、リンカーン・センターにおけるエラ・フィッツジェラルドを讃えるセレモニーで、カーターはオールスター・ビッグバンドを指揮した。 1997年にカーターは現役を引退。翌年にはリンカーン・センターから表彰され、セレモニーでウィントン・マルサリスやダイアナ・クラール、ボビー・スコットが彼の音楽を演奏した。 2003年7月12日、カリフォルニア州ロサンゼルスのCedars-Sinai Hospitalにて気管支炎の合併症で亡くなった。95歳。 グラミー受賞歴 発表年作品名アーティストレーベル
ハーレムへの帰還、ロサンゼルスへの移住
後進の育成
晩年
受賞歴
1977年 - 『ダウン・ビート』誌ジャズの殿堂入り
1978年 - 黒人映画制作者の殿堂入り[8][9]
1986年 - NEAジャズ・マスターズ[10]
1990年 - 『ダウン・ビート』誌年間ベスト・ジャズ・アーティスト賞[11]
1990年 - 『ジャズタイムズ』誌年間ベスト・ジャズ・アーティスト賞
1994年 - ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得[12]
2000年 - NEA国民芸術勲章受勲[13][14]
グラミー賞
受賞:3回[15]
ノミネート:9回
年部門タイトルジャンルレーベル結果
1963Best Background ArrangementBusted (Ray Charles)R&Bライノ/ Weaノミネート
1986Best Jazz Instrumental Performance - GroupSwing ReunionJazzMusicmastersノミネート
1987Lifetime Achievement Award受賞
1988Best Instrumental Composition"Central City Sketches (Side 2)"JazzMusicmastersノミネート
1992Best Large Jazz Ensemble Performance『Harlem Renaissance
1992Best Instrumental Composition"Harlem Renaissance Suite"Musicmasters受賞
1993Best Jazz Instrumental Solo"The More I See You"JazzTelarcノミネート
1994Best Jazz Instrumental Solo"Prelude to a Kiss"JazzMusicmasters受賞
1994Best Jazz Instrumental Performance - Individual or Group『Elegy in Blue』JazzMusicmastersノミネート
ディスコグラフィ
アルバム
1935The Chocolate DandiesDRG
1945Benny Carter and His Orchestraマイルス・デイヴィスが参加。Jazz Door
1954MoonglowVerve
1957Jazz GiantContemporary
1958Swingin' the 20'sアール・ハインズ等と共演Contemporary
1959The Fabulous Benny CarterAudio Lab
1961Further Definitions
1966Additions to Further Definitions
1976The KingPablo
1976Carter, Gillespie Inc.ディジー・ガレスピーとの共演Pablo
1987Central City SketchesMusic Masters
1992Harlem RenaissanceMusic Masters
1995New York NightsMusic Masters
1995SongbookMusic Masters
1997Live and Well in JapanPablo/OJC
1997Tickle ToeVee-Jay
2002Sketches on StandardsPast Perfect
作曲家として
"Blues In My Heart" (1931年) ※アーヴィング・ミルズとの共作
"When Lights Are Low" (1936年) ※スペンサー・ウィリアムズとの共作
"Cow-Cow Boogie (Cuma-Ti-Yi-Yi-Ay)" (1942年) ※Don Raye&Gene De Paulとの共作
"Key Largo" (1948年) ※Karl Suesdorf&Leah Worthとの共作
"Rock Me To Sleep" (1950年) ※Paul Vandervoort IIとの共作
"A Kiss From You" (1964年) ※ジョニー・マーサーとの共作
"Only Trust Your Heart" (1964年) ※サミー・カーンとの共作
他に "A Walkin' Thing", "My Kind Of Trouble Is You", "Easy Money", "Blue Star", "I Still Love Him So", "Green Wine" , "Malibu"等が存在する。 発表年作品名アーティストジャンルレーベル
編曲家として
1963The Explosive Side of Sarah Vaughanサラ・ヴォーンジャズルーレット・レコード