軍事面では18歳から25歳の男性を対象に兵役期間2年の徴兵制を敷いており[17]、ベトナム人民軍は50万弱の兵力を有する[18]。軍事力は軍事ウェブサイトの グローバル・ファイアパワー (GFP) が発表する「2020 Military Strength Ranking」によれば世界22位で、東南アジアでは第2位である[19]。
人口は9762万人(2020年ベトナム統計総局)。住民はキン族(ベトナム人)が約86%を占め、他にミャオ族、チャム族など53の少数民族が存在し、中国人も暮らしている[5][20]。
宗教は仏教徒が多いが、カオダイ教やホアハオ教、フランス植民地時代からのカトリックも存在する[5]。憲法上は信教の自由を認めているが、実際には政府による強力な規制・監督が敷かれており、アメリカから信教の自由の改善を要請されている[21]。
公用語はベトナム語で住民の大半が使用しているが、一部に少数民族の言語も存在する[5]。表記方法としては古くは漢字が用いられ、13世紀からはチュノムという漢字を基に作られた独自の民族文字が使用されるようになったが、フランス統治時代以降はチュ・クオック・グーと呼ばれるローマ字表記が用いられており、現在は漢字とチュノムは廃れている[22]。
地理としてはインドシナ半島の東半部、トンキン湾、南シナ海に沿うS字形の南北に細長い国土である。北部はソンコイ川の形成する紅河デルタとそれを囲む山岳地帯から成り、中部はアンナン山脈が急崖をなして南シナ海岸に迫る狭い地域であり、最狭部では東西の幅が約50kmである。南部は主としてメコン川のメコンデルタからなる。首都はハノイ[5]。 正式名称はベトナム語で "C?ng Hoa Xa H?i Ch? Ngh?a Vi?t Nam" ( 聞く
国名
1802年に現代とほぼ変わらない領土で統一した人物は、阮朝の創始者の阮福暎(嘉隆帝)である。1804年には清の嘉慶帝から越南国王に封ぜられ、「越南」を正式の国号とした、阮朝は最初清に「南越」の号を求めたが、嘉慶帝は「越南」という国号を与えた。「南越」という国号に阮朝の領土的野心を警戒したという見方もある。
ロシア語で「Вьетнам」と書き、ラテン文字表記法の学術表記で「V'etnam」になり、日本語表記は「ベトナム」となる。しかし「i」があるベトナム語による「Vi?t」の正しい発音は「ベト」ではなく「ヴィエッ」であることから、一部文献などでは「ヴェトナム」「ヴィエトナム」「ヴィエットナム」などの表記もみられる。漢字文化圏の国家なので漢字で「越南」(えつなん)の表記もあり、越(えつ)と略す。「越南」の表記を用いながら「ベトナム」と呼ぶこともある。現在の日本国の外務省ではカタカナで「ベトナム」「ベトナム社会主義共和国」の表記を用いるが、かつてはベトナム語の発音に近い「ヴィェトナム社会主義共和国」の表記となっていた。
公式の英語表記は "Socialist Republic of Vietnam" 、略称は "Vietnam"、または "SRV"。1976年6月24日、ベトナム戦争後初の南北統一国会(第6期国会第1回会議)が招集され、7月2日の国会決議により現在の国名が決定された[23]。2013年の憲法改正時に、「ベトナム社会主義共和国」の国名を、1945年のベトナム八月革命によって独立した時の国名「ベトナム民主共和国」に改める動きが報じられた[24][25] が、改正案から国名変更部分は除外され、変更はされなかった[26]。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
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