1980年代半ばに高校を中退。ヨーロッパを旅し、街中で演奏しながら自身の音楽を発展させていく。北欧にいる母方の祖父で、前衛芸術家集団フルクサスのメンバーであるアル・ハンセンの下で過ごした際には、1960年代に流行しオノ・ヨーコも所属していたフルクサスに祖父の手引きで触れる。
1993年、インディーレーベルからアルバム"Golden Feelings"でデビュー。同年、12インチシングルの『ルーザー』がオルタナティヴミュージック専門のラジオ局で放送されて評判を呼び、複数のレコードレーベルの争奪戦の末にゲフィン・レコード傘下のDGCレコードと契約。
1994年、DGCからメジャーデビュー作『メロウ・ゴールド』を発表。1曲目に収録した「ルーザー」が大ヒットし、アルバムはロング・セールスを記録した。
1996年にはダスト・ブラザーズ(英語版)のプロデュースの下、サンプリングを巧みに活用した『オディレイ』を発表。「フォーク、ロック、ヒップホップ、ブルース、ノイズ・ミュージックなどをそれまで聴いたこともないような形で自由に融合させた」「1990年代の歴史的傑作」と高い評価を受ける[3]。
1998年、『オディレイ』路線の踏襲という周囲の期待を意図的かつ完全に裏切ったフォーキーな『ミューテーションズ』を発表。プロデューサーはナイジェル・ゴッドリッチである。
1999年、ファンキーなダンス要素を盛り込んで「セクシー&パーティー・アルバム」と高い評価を得つつも当初のチャート・アクションでは苦戦した『ミッドナイト・ヴァルチャーズ』を発表。
2002年、プロデューサーにナイジェル・ゴッドリッチを迎えた『シー・チェンジ』を発表。ローリング・ストーン誌年間アルバム・ランキングで1位に輝くなど高い評価を得た。
2005年、再びダスト・ブラザーズと組み、6作目となる『グエロ』をリリース。「E-PRO」などのキラーチューンによって全米2位を記録した。翌2006年にはナイジェル・ゴッドリッチプロデュースの7作目『ザ・インフォメーション』を立て続けにリリースしている。
グラミー賞にノミネートされた2007年の単発シングル「タイムボム」のデジタル配信リリースを経て、2008年にはデンジャー・マウスとの共同プロデュースで60年代風のガレージ?サイケサウンドにアプローチした『モダン・ギルト』を発表。この作品からヨーロッパではXLレコーディングス、日本ではホステス・エンタテインメントからのリリースとなった。
また、映画への楽曲提供やプロデューサー業にも手を広げ、2009年発表のシャルロット・ゲンズブールのアルバム「IRM」[4]等を手掛けた。
2014年、6年ぶりとなるアルバム『モーニング・フェイズ』を発表。リリース後のインタビューで長年脊椎損傷で苦しんでいたこと、手術によって回復したことを明かした[5]。
2015年2月8日第57回グラミー賞で、「モーニング・フェイズ」が最優秀アルバム賞に輝いた。また、最優秀ロックアルバム賞も「モーニング・フェイズ」が受賞した。
2019年2月10日第61回グラミー賞で、「カラーズ」が最優秀オルタナティブ・ミュージック・アルバム賞、最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)を受賞した。
2019年11月22日、ファレル・ウィリアムス等との共同プロデュースによるアルバム「ハイパースペース」をリリース。 俳優のジョバンニ・リビシの双子の妹であるマリッサ・リビシと2004年4月に結婚[6]。2児の父となる。妻マリッサとその兄ジョバンニとは若いときから友達であるが、3人ともサイエントロジストである[要出典]。 2019年2月15日、離婚を申請した。[1]
私生活
2019年11月22日付シドニー・モーニング・ヘラルド紙のインタビューでベックは、父がサイエントロジストであったことは確かだが、自分はサイエントロジストではないと明言した[2]。
年タイトルアルバム詳細チャート最高位認定
ディスコグラフィ
アルバム
US
[7]AUS
[8]AUT
[9]CAN
[10]GER
[11]JPN
[12]NLD
[13]NOR
[14]NZ
[15]UK