ベオグラード
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町はギリシャ人に発見され[9]ケルト人によって築かれて命名された[10]ローマ帝国によって都市権を与えられた[11]600年代に白セルビア人による定住が始まる。ベオグラードは戦略的拠点として、町は古代より現代までの間に140回にわたって戦いの場となった[12]中世には、東ローマ帝国フランク人第一次ブルガリア帝国ハンガリー王国、そしてセルビア人の諸領主の支配地となった。1521年、ベオグラードはオスマン帝国に征服され、オスマン領ヨーロッパの重要拠点として、スメデレヴォ県(英語版)(スメデレヴォ・サンジャク)の中心都市となった[13][14]。ベオグラードはオスマン帝国とハプスブルク君主国に交互に支配され、セルビアの首都としての地位を回復するのは1841年のことであった。しかし、ベオグラード北部はその後も1918年オーストリア=ハンガリー帝国崩壊までオーストリアの統治下に置かれ続けた。その後統一されたベオグラードは、2006年にセルビアが独立するまでの間、ユーゴスラビア王国ユーゴスラビア社会主義連邦共和国ユーゴスラビア連邦共和国セルビア・モンテネグロの首都であった。

ベオグラードはセルビアの中で、自治権のある独自の市政府を持つ、独立した地位を持っている[15]。ベオグラードは17のに分かれ、それぞれの区は独自の区議会を持つ[16]。ベオグラードはセルビアの面積の3.6%を占め、セルビアの人口の24%が居住する[17]。ベオグラードはセルビアの経済活動の中心であり、セルビアの文化、教育、学術の中心である。
地理ベオグラードの衛星写真

ベオグラードは標高116.75m、ドナウ川サヴァ川の合流地点、東経20°27'44"、北緯44°49'14" にある。合流点にはベリコ・ラトノ島という中州がある[18]。ベオグラードの歴史的な中核は、両河川の右岸に位置しており、今日のカレメグダン(英語版)地区に当たる。19世紀以降、町は南および東に拡大し、第二次世界大戦以降にサヴァ川の左岸にノヴィ・ベオグラードが建設され、ゼムンはベオグラードに統合された。ドナウ川の対岸にある小規模な、主として住宅地であったクルニャチャ(英語版)やオヴチャ(英語版)等もまたベオグラードに統合された。市域の面積は360km2、都市圏の面積は3223km2に達する。歴史を通じ、ベオグラードは西洋東洋を繋ぐ主要な交易路の上にあった[19]

サヴァ川右岸にあるベオグラード中心部は丘陵地帯であり、またベオグラード域内で標高が最も高い地点はトルラク丘(英語版)で標高303mである。街の南にはアヴァラ山(英語版)(標高511m)、コスマイ山(英語版)(標高628m)がある[20]。サヴァ川およびドナウ川に沿った一帯では地形は平坦であり、沖積平野ローム台地を形成している[21]
気候

ベオグラードは温暖な大陸性気候である。年間平均気温は摂氏11.7度であり、最も暑い7月の平均気温は23度に達する。平均的に、年間31日は気温が30度を越え、95日は25度を越える。ベオグラードの年間降水量は700mmである。平均的な年間の日照時間は2096時間である。最も晴れる月は7月と8月であり、10月は平均的である。12月と1月は日照が最も少なく、平均すると一日あたりの日照時間は2-2,3時間程度である[22]。ベオグラードにおける公式な記録史上最も高い気温は43.1度であり[23]、最も低い気温は1893年1月10日の-26.2度である[24]

ベオグラード (1981?2010)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)20.7
(69.3)23.9
(75)28.8
(83.8)32.2
(90)34.9
(94.8)37.4
(99.3)43.6
(110.5)40.0
(104)37.5
(99.5)30.7
(87.3)28.4
(83.1)22.6
(72.7)43.6
(110.5)
平均最高気温 °C (°F)4.6
(40.3)7.0
(44.6)12.4
(54.3)18.0
(64.4)23.5
(74.3)26.2
(79.2)28.6
(83.5)28.7
(83.7)23.9
(75)18.4
(65.1)11.2
(52.2)5.8
(42.4)17.4
(63.3)
日平均気温 °C (°F)1.4
(34.5)3.1
(37.6)7.6
(45.7)12.9
(55.2)18.1
(64.6)21.0
(69.8)23.0
(73.4)22.7
(72.9)18.0
(64.4)12.9
(55.2)7.1
(44.8)2.7
(36.9)12.5
(54.5)
平均最低気温 °C (°F)?1.1
(30)?0.1
(31.8)3.7
(38.7)8.3
(46.9)13.0
(55.4)15.8
(60.4)17.5
(63.5)17.6
(63.7)13.5
(56.3)9.0
(48.2)4.2
(39.6)0.2
(32.4)8.5
(47.3)
最低気温記録 °C (°F)?26.2
(?15.2)?15.4
(4.3)?12.4
(9.7)?3.4
(25.9)2.5
(36.5)6.5
(43.7)9.4
(48.9)6.7
(44.1)4.7
(40.5)?4.5
(23.9)?7.8
(18)?13.4
(7.9)?18.2
(?0.8)
降水量 mm (inch)46.9
(1.846)40.0
(1.575)49.3
(1.941)56.1
(2.209)58.0
(2.283)101.2
(3.984)63.0
(2.48)58.3
(2.295)55.3
(2.177)50.2
(1.976)55.1
(2.169)57.4
(2.26)690.9
(27.201)
平均降水日数 (?0.1 mm)13121113131310910101214139
湿度78716361616361616771757968
平均月間日照時間72.2101.7153.2188.1242.2260.9290.8274.0204.3163.197.064.52,111.9
出典:Republic Hydrometeorological Service of Serbia[25]

歴史
古代ベオグラード(シンギドゥヌム)出身のローマ皇帝ヨウィアヌス

新石器時代のスタルチェヴォ文化(英語版)、ヴィンチャ文化(英語版)はベオグラード付近で発達し、7000年ほど前にバルカン半島一帯および中央ヨーロッパアナトリア半島の一部を支配した[26][27]。有史以前に見られる古ヨーロッパ文字(ヴィンチャ文字)は最古のアルファベットであるとする見方もある[28]。数世紀の後、古代ギリシャアルゴナウタイは、カウリアク (Cauliac) と呼ばれた古代のベオグラードに黒海からドナウ川を遡って到達し、サヴァ川を発見している[9]。紀元前4世紀にはケルト人部族のスコルディスキが居住し、町はシンギドゥン (Singid?n) と呼ばれた。町は紀元後1世紀ローマ化され、シンギドゥヌム(英語版)と呼ばれた。2世紀中期、町はローマ帝国のムニキピウムとされ、2世紀の末にはローマ帝国の都市制度の中で最も上位にある植民市(コロニア)に昇格した[11]

初のキリスト教徒のローマ皇帝は、今日のセルビアのニシュ280年に生まれたコンスタンティヌス1世であった[29][30]


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