2002年の国勢調査によると、ベオグラードの住民は民族別ではセルビア人が141万7187人、ユーゴスラビア人が2万2161人、モンテネグロ人が2万1190人、ロマが1万9191人、クロアチア人が1万0381人、マケドニア人が8,372人、ムスリム人が4,617人などとなっている[83]。2007年の投票では、ベオグラードの人口はわずか5年で40万人の増加があったことが示唆されている[84]。2008年8月2日の時点で、ベオグラードの情報統計局では1,542,773人の有権者が登録されており、その6年前の全人口を上回る有権者が登録されていることになり、2002年以降に急速な人口増加があったことが示されている[85]。
ベオグラード情報統計局による2007年末の公式の推計では、街の人口は約1,630,000人となっている[3]。
ベオグラードには旧ユーゴスラビア連邦各地の民族が居住している[2]。住民の多くはより小さい街や村部からの移住者や、1990年代のユーゴスラビア紛争によって故郷を失ったクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボからの移民である[86]。また、1990年代中期からの移民によって1万人から2万人程度の[87]漢人がベオグラードに居住しているものと推定される。ノヴィ・ベオグラードのブロック70(Blok 70)地区は中華街として知られている[88][89]。
ベオグラードにはまた多くのインドネシア人、中東系の住民(主にシリア、イラン、ヨルダン、イラクから、1970年代から1990年代にかけて学業のために移り住み、その後街に定住した人々である[90][91])、アフガニスタン人、イラクのクルド人難民も居住している[92]。
ベオグラードには歴史的に複数の宗教の共同体が共存してきたが、街の宗教構成は比較的、均質である。セルビア正教会が圧倒的に最大であり、正教会の信者数は142万9170人である。この他では2万0366人がイスラム教、1万6305人がローマ・カトリック教会、3,796人がプロテスタントに属する。ベオグラードにはかつて一定規模のユダヤ教の共同体があったが、ナチス・ドイツによる占領統治を経て、多くがイスラエルに移住し、その人口は515人にまで減少した[2]。 ベオグラードは、セルビアで最も経済的に発達した地域であり、セルビア国立銀行
経済
1990年代前半のユーゴスラビア社会主義連邦共和国からユーゴスラビア連邦共和国への移行期の混乱はベオグラードにも影響を与えた。セルビアの他地域と同様に、国際的な禁輸によって経済に深刻な影響がもたらされた。ユーゴスラビア・ディナールのハイパーインフレは、記録史上最大であったといわれ[98][99]、街の経済を破壊した。ユーゴスラビアは1990年代中期にはハイパーインフレから脱却し、その後のベオグラードの経済成長は目覚しい。2000年代末の時点で、ベオグラードはセルビア全体の国内総生産の30%以上を占め、またセルビアの労働者人口の30%以上を占めている[100]。平均的な月収は47.500セルビア・ディナールであり、ユーロスタット(Eurostat)の手法によれば、コンピュータを保有する家庭は53%に上る[101][102]。同じ調査によると、ベオグラードの家庭の39.1%はインターネット接続を持っており、これはソフィアやブカレスト、アテネなどの他のバルカン地域の首都よりも高い比率である[101]。
文化1922年建造のセルビア科学芸術アカデミーの建物
ベオグラードでは多くの文化的催しが開催されている。代表的なものでは、ベオグラード映画祭(FEST)、ベオグラード演劇祭(BITEF)、ベオグラード夏季祭(BELEF)、ベオグラード音楽祭(BEMUS)、ベオグラード図書祭(Belgrade Book Fair)、ベオグラード・ビール祭などがある[103]。
ノーベル文学賞を受賞したイヴォ・アンドリッチは、その最も有名な著作『ドリナの橋』をベオグラードで執筆した[104]。このほかのベオグラードの著名な作家には、ブラニスラヴ・ヌシッチ(Branislav Nu?i?)、ミロシュ・ツルニャンスキ(Milo? Crnjanski)、ボリスラヴ・ペキッチ(Borislav Peki?)、ミロラド・パヴィッチ、メシャ・セリモヴィッチ(Me?a Selimovi?)などがいる[105][106][107]。セルビアの映画産業の多くはベオグラードを拠点としている。1995年にパルム・ドールを受賞したエミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』はベオグラードで製作された。
街は1980年代のユーゴスラヴ・ニュー・ウェーブ(Yugoslav New Wave)の中心の一つであった。VISイドリ(VIS Idoli)、エカテリーナ・ヴェリカ(Ekatarina Velika)、シャルロ・アクロバタ(?arlo Akrobata)はいずれもベオグラード出身である。