こうしてヘヴィメタルの巨大マーケットがアメリカに生まれると、それは旧来の英国市場とは比較にならない規模であり、欧州のバンドの多くがアメリカ進出を目指すようになった。ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンといった英国の古参はもとより、英米以外の国からも多数のヘヴィメタルバンドがアメリカでも受け入れられ、特にオーストラリアのAC/DC、西ドイツ(当時)のスコーピオンズ、カナダのラッシュやトライアンフ等の活動が目立った。1980年代後半にはボン・ジョヴィ、デフ・レパード、ホワイトスネイクといったグループがアメリカを中心に大ヒットを連発し、ドイツのハロウィン、日本のLOUDNESSなどもビルボードのアルバムチャートに顔を出すなど、全盛期を迎えた。
80年代中頃には、アイアン・メイデンに影響を受けた音楽性で活動を開始したフェイツ・ウォーニングがアルバム『アウェイクン・ザ・ガーディアン』をリリースし、今でいうプログレッシブ・メタルの原型となるスタイルを提示した[32]。このスタイルは後にドリーム・シアターやクイーンズライクらによって商業的な成功を収めることとなる。 1980年代中期のヨーロッパでは英国の伝統的ハードロックの影響下に、スピードを重視したアップテンポのリズムとメロディックで分かりやすい歌で人気を得たアクセプト、全米チャートでヒットを出したヨーロッパらの活躍があった。またスウェーデン出身のイングヴェイ・マルムスティーンは、クラシック音楽のバイオリニストパガニーニ、そしてディープ・パープルのリッチー・ブラックモアの影響を受け、ネオクラシカルメタルと呼ばれるスタイルを確立。彼の速弾きは世界のギタリストたちに影響を与えた。 1980年代の後期になると、デスメタルやブラックメタルの荒々しいサウンドに対するリアクションとして、パワーメタルシーンができあがった[33]。このジャンルの先駆けとしては、ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンのようなハイトーン・ヴォーカルとスラッシュメタル由来のスピードを組み合わせることで、メロディアスで疾走感みなぎる新たな形式を生み出したドイツのハロウィンがいる[34]。また、スウェーデンのハンマーフォール、イギリスのドラゴンフォース、フロリダのアイスド・アースなどは明らかに伝統的なNWOBHMのスタイルに影響を受けたサウンドを展開している[35]。
1980年代ヨーロッパのシーン