2006年4月のサンドハースト王立陸軍士官学校卒業後にイギリス陸軍入隊、近衛騎兵連隊ブルーズ・アンド・ロイヤルズに配属された。同連隊は儀礼的任務だけでなく戦闘地域における任務にも投入されており、ヘンリーのイラク派遣も一旦決定したが、イスラーム過激派等が「ヘンリーを標的に攻撃する」と予告したため取り止めとなった[5]。ヘンリーは特別な待遇を望んでおらず、「失望している」との声明を発表するとともに[6]、「軍を辞めるつもりはない」ともコメントしている。
2007年末からアフガニスタンにおけるタリバーン掃討作戦に極秘に加わっていた。ヘンリーは前線航空管制官としてタリバン部隊への爆撃を誘導する任務に就いており、これは相当の危険が伴うものであった。イギリスのメディアとは協定が結ばれ派遣の事実は公表されていなかったが、10週間後にアメリカ合衆国のインターネットメディアのDrudge Reportが記事を掲載したのをきっかけに大手メディアも報道を開始し[7]、帰国した。首相のゴードン・ブラウン(労働党政権)はヘンリーを「模範的な兵士」であり「イギリス全土は彼の行っている素晴らしい任務を誇りに思うだろう」と称賛した。
アフガニスタンの旧支配勢力タリバン(Taliban)は2012年9月10日、前週末から同国に英陸軍航空隊の一員として再派遣された王子について、断固として殺害する計画があると明らかにした。2012年10月下旬、派遣先のアフガニスタン南部ヘルマンドで戦闘に参加した際に地上部隊からの要請を受け、戦闘ヘリコプター(WAH-64)から空対地ミサイルを発射し、結果的にタリバンの兵士を殺害することとなった。このときの作戦がヘンリーにとって初の殺害行為を伴う戦闘となった。この王位継承順位3位(当時)のヘンリーによる「初の殺害実行」に対し、イギリスの新聞は「英雄的行為」だとして称賛しているが、日本の産経新聞は「殺害した相手が民間人ではなくタリバン兵だと断定した根拠がない」と指摘している[8]。
2015年6月19日除隊。最高階級は陸軍大尉。同年ロイヤル・ヴィクトリア勲章のナイト・コマンダー受章。
2021年2月19日、イギリス王室はヘンリーが軍人としての名誉称号を返上することを発表した[9]。
軍籍のある王室メンバーは儀礼的な席で軍服を着用するのが慣例だが、王室を離脱し名誉称号を返上したため、国王(チャールズ3世)の息子という立場ではあるが、祖母エリザベス2世の国葬にも軍服の着用は認められないこととなった[10]。後になって不寝の番のみ特例で着用が許された[11]。 スポーツ好きとして知られ、イートン校在籍時代はラグビーとポロのチームに所属した。スキー、モトクロス、ポロなどを趣味としている。2008年には、南アフリカ共和国で開催されたチャリティー・エンデューロレースにウィリアム王子とともに出場したことがある[12]。英国王室のほとんどのメンバーと同様に、サッカーではアーセナルFCのサポーターであると語っている[13]。レゲエやヒップホップなどの音楽への造詣も深い。一時期はエミネムに没頭していた。 スキャンダルを起こすことも多いが、笑顔が多く陽気な性格であることから国民からの人気は高い。若者層の間ではヘンリーのファンサイトが立ち上がるなど、特に支持が厚い。 2015年のラグビーワールドカップイングランド大会の開会式には「1823年のラグビー校でのラグビーフットボール発祥の故事」を描いたショートフィルムが流されたが、ジョニー・ウィルキンソンとともに「ラグビー校の庭師」としてカメオ出演し、ボールを持って疾走する少年を見て「彼は何をしているんだ?」と問うジョニーに「心配するなジョニー、あんなもの(ラグビーフットボールと呼ばれるもの)絶対流行らん」とセリフを言う芝居を見せて観客を驚かせた。開会式のアトラクションの後、登壇し挨拶のスピーチをした[14]。 ジンバブエ出身の恋人チェルシー・デービー
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