ヘンリー8世_(イングランド王)
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ホルバインがアンを美化しすぎて描いたのではないかという推測もあるが、彼はその後も宮廷で重んじられたため[2]、肖像画は正確であった可能性が高い。

だが結婚後すぐにヘンリーは離婚を求め、アンは離婚に強く抵抗せず、結婚には床入りが伴わなかったことを認めた。アンが以前に別の男(ロレーヌ公フランソワ1世)と婚約していたことを理由にして、結婚は無効とされたが、アンは「王の妹」としての地位を得て、2軒の家と十分な年金を約束されて、平和裏に王のもとを去った。ヘンリーは既に、ノーフォーク公の姪で、アン・ブーリンの従妹かつ侍女であったキャサリン・ハワードに心を移していた。何人かの宗教改革家は処刑され、クロムウェルは王の寵愛を失い、宮廷では姪を通じて権力を得たノーフォーク公などの政敵に囲まれるようになった。1540年、クロムウェルは大逆罪などで逮捕され処刑された。
キャサリン・ハワードとの結婚

1540年にヘンリーはキャサリン・ハワードと結婚した。ヘンリーは若い王妃に夢中になり、処刑したクロムウェルの土地とおびただしい宝石をキャサリンに与えた。だがキャサリンは以前に婚約し、性的関係を持っていたフランシス・デレハムを秘書として雇った。王の不在中にキャサリンは姦通罪と反逆罪で告発され、裁判にかけられた。トマス・クランマーが取り調べにあたり、証拠を集めて王に提示した。当初、ヘンリーは王妃の姦通を信じなかったが、デレハムは自白した。キャサリンがデレハムとのかつての婚約を認めていれば、ヘンリーとの結婚が無効になるだけで済んでいたはずであるが、キャサリンは王との結婚後にデレハムに姦通を強制されたと証言した。一方、デレハムはキャサリンがトマス・カルペパーと姦通を犯していたと証言した。デレハム、カルペパー、キャサリン、手引きをした侍女のジェーン・ブーリンは、1542年および1543年に処刑された。

1542年に、イングランドのすべての修道院は解散され、財産の没収は完了した。
フランス出兵と「乱暴な求愛」

キャサリン・オブ・アラゴンとアン・ブーリンが共に亡くなったため、ヘンリーとカール5世の関係は改善し、ヘンリーはフランスへの出兵を考えるようになった。だがその前にカトリック勢力が強く、フランスと「古い同盟」を結ぶスコットランドの脅威を除くため、結婚による同君連合を考え、甥にあたるスコットランド王ジェームズ5世の娘で世継ぎのメアリー王女と、自らの息子のエドワード王子とを結婚させようとした。戦争を伴ったこの一連の行動は「乱暴な求愛(英語版)」と呼ばれた。1542年、スコットランドはソルウェイ・モスの戦いで敗れ、直後にジェームズ5世は急死し、スコットランドはグリニッジ条約をイングランドと結んで結婚に合意した。

1544年第五次イタリア戦争でカール5世とヘンリーは連合してフランスに攻め込んだ。モントルイユブローニュ=シュル=メールを同時に攻め、ヘンリーは後者の包囲戦の指揮をとり陥落させた。だが、カール5世の求めに反してパリには進軍しなかった。カール5世の軍は勝利を収められず、カール5世は一方的にフランスと講和した。ヘンリーはフランスで孤立したが、英仏両国とも戦費に窮乏して講和した。ブローニュは後に補償金と引き換えにフランスに返却された。

スコットランドがグリニッジ条約を破棄したため、1544年にヘンリーはスコットランドに攻め込み、エディンバラを焼き討ちした。
キャサリン・パーとの結婚

1543年に、ヘンリーは富裕な未亡人キャサリン・パーと6度目にして最後の結婚をした。キャサリンは教養の深いプロテスタントであり、エドワード王子の教育を任された。また、メアリー王女およびエリザベス王女を庶子の身分から王女の身分に戻し、エドワード王子の下位ながら王位継承権を復活させた(第三継承法)。
肉体の衰えと崩御

晩年、ヘンリーは著しく肥満し、馬上槍試合で負った古傷の後遺症にも苦しみ、健康は悪化する一方であった。1547年にヘンリーはホワイトホール宮殿で崩御した。遺体はウィンザー城聖ジョージ礼拝堂に埋葬された。9歳の王子エドワードが王位を継ぎ、エドワード6世となった。ヘンリーの崩御後、子女3人が王位についたがいずれも子をなさなかったため、やがてテューダー朝は断絶し、スコットランドに嫁いだ姉マーガレットの曾孫、ステュアート朝ジェームズ6世/1世によるスコットランドとイングランドの同君連合王冠連合)が成立することになる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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