ヘンリー四世_第1部
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「成人に達している」という解釈で、フォルスタッフとのつきあいや居酒屋の庶民生活はハル王子に人間味と、エリザベス朝の人間観を与える[6]。最初、ハル王子は熱烈なホットスパーと較べると迫力に欠けているように見える(なお、シェイクスピアはハル王子との引き立て役のつもりでホットスパーを実際の年齢より若く、23歳くらいに描いている。ちなみにハル王子の実際の年齢は16?17歳)。多くの人はこの歴史劇をハル王子が成長してヘンリー五世になる話と解釈することだろう[7]。ハル王子は中世イングランドの政治活動に『聖書』などの「放蕩息子の寓話」をあてはめた、シェイクスピアの全登場人物中おそらく最も英雄的な登場人物である[8]。しかし、ハル王子を批判的に、芽を出しかけたマキャヴェッリと見る者もいて、そう考えて読むと、それは「理想的な王」ではなく、フォルスタッフを徐々に拒否していくことは冷たい現実政策(Realpolitik)を選ぶ、ハル王子の人間性の拒否と取れる[9]
オールドカースル論争フォルスタッフと小姓(アドルフ・シュレーター画。1841年)

1597年の初演時、『ヘンリー四世 第1部』はある論争を引き起こした。現存しているテキストでは「フォルスタッフ」となっている滑稽なキャラクターは、最初は「オールドカースル(Oldcastle)」という名前で、有名なプロテスタントの殉教者ジョン・オールドカースルがそのモデルだった。この名前の変更についての言及は、リチャード・ジェームズの『Epistle to Sir Harry Bourchier』(1625年頃)や、トマス・フューラーの『Worthies of England』(1662年)に見られるし、シェイクスピア本人も『ヘンリー四世 第2部』(1600年)の第1幕第2場のフォルスタッフの台詞の1つで、喋る役名が「Falst.」でなく「Old.」になっているところがある。さらに、第3幕第2場25-26行では、フォルスタッフは「ノーフォーク公トマス・モーブレーの小姓」だったと書かれていて、それは他ならぬ本物のオールドカースルのことである。一方、『ヘンリー四世 第1部』第1幕第2場42行で、ハル王子はフォルスタッフのことを「my old lad of the castle(直訳「我が古き城の男」)」と呼んでいる。また、第1部・第2部両方の弱強五歩格詩行は、「Fal-staff」だと不規則だが、「Old-cas-tle」だと正しくなる。さらに『ヘンリー四世 第2部』のエピローグ29-32行にはわざわざ「オールドカースルは殉教したので、これはその男ではない」とわざわざ書かれてある。

名前の変更と『ヘンリー四世 第2部』のエピローグの弁明は政治的な圧力によるものと一般的に考えられている。実在のオールドカースルはプロテスタントの殉教者であるだけではなく、コブハム男爵(コバム)(Baron Cobham)という貴族で(実際には妻のジョーン・オールドカースルが第4代コブハム女男爵)、その子孫がエリザベス朝当時のイングランドにいた。第10代コブハム男爵ウィリアム・ブルック(英語版)は五港長官(Lord Warden of the Cinque Ports、任期:1558年 - 1597年)、ガーター勲章騎士(1584年叙勲)、枢密院(Her Majesty's Most Honourable Privy Council)メンバーで、その息子の第11代コブハム男爵ヘンリー・ブルック(英語版)は父の死後五港長官のポストに就き、1599年にはガーター勲章騎士を叙勲していた。さらにウィリアムの妻でヘンリーの母フランセス・ブルックはエリザベス1世の個人的なお気に入りだった。

ウィリアム・ブルックはシェイクスピアや同時代の演劇人に強い影響を与えていた。シェイクスピアがリチャード・バーベッジ、ウィリアム・ケンプ(William Kempe)らと1594年に結成した一座は、初代ハンスドン男爵ヘンリー・ケアリーの後援を受けたが、彼が宮内長官(英語版)(宮内大臣)になったので、一座が宮内大臣一座(英語版)として知られるようになったのは有名な話である。ところが、1596年7月22日にハンスドン男爵が亡くなり、代わって宮内大臣になったのがコブハム男爵ウィリアム・ブルックで、一座の友人ではなく、公的な保護も撤回した。一座はシティ・オブ・ロンドン市当局(一座をシティからずっと追い出したかった)の意のままになった。トマス・ナッシュ(Thomas Nashe)はある書簡の中で、役者たちは「市長と市会議員によって痛ましくも迫害されている」と書いている。しかし一座にとって、ひいては英文学にとって幸運だったのは、1年後にコブハム男爵が亡くなって、ハンスドン男爵の子である第2代ハンスドン男爵ジョージ・ケアリー(英語版)が宮内大臣に就任したことである。こうして一座は再び後援を得ることができた[10]

「オールドカースル」という名前は、パテーの戦いで臆病者と取りざたされ、以前『ヘンリー六世 第1部』に登場させていた実在の人物、サー・ジョン・ファストルフ(John Fastolf)を元に、「フォルスタッフ(Falstaff)」に変更された。ファストルフは子孫を残さず死んだので、安全でもあった。

まもなくして劇作家チームが2部からなる『サー・ジョン・オールドカースル』という戯曲が1600年に出版された。この芝居ではオールドカースルの生涯がヒロイックに描かれている。
映画化

オーソン・ウェルズ監督・主演の『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ(英語版)』(1965年)は『ヘンリー四世』2部作を圧縮して、反対に『ヘンリー五世』のシーンと『リチャード二世』と『ウィンザーの陽気な女房たち』の台詞を追加して作られた。ウェルズがフォルスタッフを演じ、ジョン・ギールグッドがヘンリー四世を、キース・バクスター(英語版)がハル王子を、マーガレット・ラザフォードがクィックリー夫人を、ノーマン・ロッドウェイ(英語版)がホットスパーをそれぞれ演じた。

ヘンリー五世』(1989年)の中に『ヘンリー四世』のシーンがフラッシュバックとして出てくる。ロビー・コルトレーンがフォルスタッフを、ケネス・ブラナーが若き日のハル王子をそれぞれ演じた。

ガス・ヴァン・サントの『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)は、厳密にではないが『ヘンリー四世 第1部』をベースにしている。

2012年にはBBCがテレビ映画シリーズ『ホロウ・クラウン/嘆きの王冠』の一篇として製作した。


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