ヘルムート・コール
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隣国フランスとの同盟強化にも努め、1984年にはフランス大統領フランソワ・ミッテランと共に第一次世界大戦の激戦地ヴェルダンを訪問し、二人で手を繋いで戦死者を鎮魂し両国の友好を誓った。この姿は独仏関係の新時代を象徴するものとして有名であり、のちに独仏連合部隊や独仏共同テレビ局アルテの創設、さらにはマーストリヒト条約締結や欧州共同通貨ユーロ導入での「独仏枢軸」と呼ばれる緊密な協力関係へと繋がっていく。アメリカとの友好にも努め、1985年にはロナルド・レーガン大統領と共に第二次世界大戦の米独両軍の戦死者が眠るビットブルク墓地に献花したが、この墓地にはナチス武装親衛隊員も葬られていたため、批判する声もあった(ビットブルク論争、de:Bitburg-Kontroverse)。

内政では、FDPとの連立ということもあり、当時の先進国首脳だったマーガレット・サッチャーロナルド・レーガンに近い政策であるといわれている。ただしイギリスやアメリカに比べドイツでは伝統的に社会民主主義が強いので、それへの配慮もあった。1987年の連邦議会選挙にも勝利して、コール政権は3期目に入る。1989年12月22日、ブランデンブルク門が開放された日のコール(中央左)と東ドイツ閣僚評議会議長ハンス・モドロウ(左端)、西ベルリン市長ヴァルター・モンパー(中央右)
ドイツ再統一

コールの最大の政治的業績は、一連の東欧革命の中、1989年11月9日ベルリンの壁崩壊によって始まったドイツの再統一である。ヨーロッパでは、二度の世界大戦の経験から、中欧に統一されたドイツの誕生を警戒する声もあった。また、西ドイツ国内を中心に経済的に格差のある東ドイツを吸収することに対する負担の大きさを危惧する意見も多かった。しかし、コールはドイツ統一の好機を逃すことの不利を説き、一気に統一を推進した。コールはヨーロッパ統合推進派として、統一ドイツをヨーロッパ連合及び、NATOの枠内に位置づけすることで、旧連合国の米英仏といった各国首脳の合意を得ることに成功した。1990年10月3日、歓喜の中ドイツは再統一された。

ドイツ統一の立役者として、コールの政治的威信は頂点に達した。統一後初めて行われた1990年の連邦議会選挙にも勝利し、コール政権は4期目を迎えた。しかし国民の興奮が冷めると、統一前のコールの説明と異なり、統一の困難な現実が明らかとなる。とりわけ、コールのドイツ統一過程における経済運営は、いくつかの問題が指摘された。たとえばコラムニストのオーラフ・ストーベックは、その点について以下のように述べている[3]。統一過程におけるコール氏の経済運営は、さほど素晴らしかったとは言い難い。旧東ドイツとの通貨同盟は拙速で、為替レートの設定も高過ぎた。国有企業の民営化は失敗し、債務による復興資金の調達は、少なくとも10年にわたってドイツの財政に傷を負わせることになった。保守政党・キリスト教民主同盟(CDU)に所属するコール氏だが、硬直化した労働市場と膨張した社会福祉国家を改革する機は逸した。長年の懸案だったこの問題に取り組んだのは、その後政権についた社会民主党(SPD)のシュレーダー前首相だ。 ? Olaf Storbeck、ロイター BREAKINGVIEWS

1994年連邦議会選挙に辛勝して5期目を迎え、1996年には初代連邦首相アデナウアーの在任14年を抜いた。この間、ボスニア紛争ドイツ連邦軍にとって初の域外における戦闘行動への関与を行った[4]。この様な国外派兵と武力行使についてはドイツ国内で激しい論争の対象となるも後に連邦憲法裁判所の合憲判決まで至り、その後もドイツ軍を積極的に派兵した。しかし、コール政権に対する国民の飽きは覆うべくもなく、地方議会選挙でSPDに負け続けて連邦参議院では与野党の勢力が逆転した。党内からのヴォルフガング・ショイブレらの突き上げにもかかわらず、コールは首相と党首の座にしがみ付き続け、少なくとも2002年までは党首を続けると宣言して周囲を呆れさせた。その結果1998年連邦議会選挙に大敗して退陣を余儀なくされた[1]。首相在任16年は、オットー・フォン・ビスマルク以来の在任期間記録である。
闇献金疑惑・余生ロシア大統領ボリス・エリツィンと会見するコール(2000年10月、フランクフルト・ブックフェアにて)

首相退任直後、敗北の責任を取って四半世紀にわたって務めたCDU党首も辞任した。しかし追い打ちをかけるように、1999年にはコール自身が受け取り署名した200万ドイツマルク政治献金の出所が不明瞭であることが発覚。CDUがコールの指示の下、不法な政治資金を調達し証拠を隠滅した疑惑が発覚し、ドイツ統一の功労者としての立場も一転して地に墜ちた。


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