ヘラート
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この時代にトルコ人によって育まれたイスラーム文化を、トルコ・イスラーム文化という。15世紀初頭、永楽帝の命を受けた陳誠が、陸路でこの地(「哈烈」と記録されている)を訪れている。

しかし、フサイン死後の1507年にヘラートはウズベクシャイバーン朝によって征服されたのを皮切りに、1510年にはサファヴィー朝イスマーイール1世が占領するなど、ウズベクとサファヴィー朝による争奪の的となった。この長年にわたった紛争の結果、ヘラートの繁栄は衰え、国境地帯の辺境都市に過ぎなくなっていった。
近現代のヘラートヘラート市街

1716年、ヘラートはカンダハールを都とするパシュトゥーン人(アフガン人)勢力の手に落ちた。これ以来、ヘラートを巡る紛争はイランを支配する王朝とアフガニスタンを支配する王朝の手に移る。1729年にはサファヴィー朝のナーディル・クリー・ハーン(ナーディル・シャー)によって奪還されるが、1747年にナーディルが暗殺されると、ナーディルの元部下のパシュトゥーン人アフマド・ハーン・アブダーリーことアフマド・シャー・ドゥッラーニーが自立して建国したドゥッラーニー朝(現在のアフガニスタン)の支配下に入った。

19世紀に入ると、アフガニスタンでのバーラクザイ朝への王朝交代を経て、イランのカージャール朝はヘラートの奪取を目指してアフガニスタンへと侵攻、イランとアフガニスタンの紛争が再燃した。

1856年、カージャール朝軍はついにヘラートを占領する。しかし、ここでアフガニスタンをロシアとの緩衝国として保護国化することをねらっていたイギリスが介入した。イギリスは、前年にアフガニスタンと結んでいたペシャーワル条約の領土保全条項にもとづいてカージャール朝に圧力をかけ、1857年パリでイギリス・ペルシア平和条約を結んだ際にその条件の一環としてヘラートを放棄させた。これにより、ヘラートはアフガニスタンへの帰属が確定し、その地方都市となった。
ソビエト連邦が介入した時代

1979年ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻が始まると、ソ連との国境に近いヘラートではタジク系の軍人イスマーイール・ハーンがソ連に対する抵抗戦を繰り広げた。1992年ムジャーヒディーンの連合政権が設立されるとヘラート州知事となったイスマーイール・ハーンは、ヘラートを本拠地としてタジク人の有力軍閥を形成し、アフガニスタン内戦では同じくタジク人のブルハーヌッディーン・ラッバーニー大統領の派に属した。しかし1995年9月5日、パシュトゥーン人中心のターリバーンによってヘラートは攻略された。
アメリカ合衆国が介入していた時代

2001年アメリカのアフガニスタン侵攻が始まると、同年11月12日にヘラートは亡命先のイランから帰国したイスマーイール・ハーンの軍閥によって奪還され、イスマーイール・ハーンが州知事に返り咲いた。しかし、アフガニスタンの移行政権においては軍閥解体を掲げるハーミド・カルザイ大統領と、主要な軍閥であるイスマーイール・ハーン派の対立が深まっているとされ、2004年9月にはイスマーイール・ハーンが中央政府の鉱工業相への異動を命ぜられたのをきっかけに州知事職を辞任。さらにこれに刺激されて州知事支持派による暴動が起こり7人が死亡するなど、不穏な情勢が続いた。2007年現在、ハーミド・カルザイ大統領率いるアフガニスタン中央政府によってヘラートは完全に掌握されている。NATOの平和維持軍も市内外に展開し、政府による治安維持を支援している。
2021年以降のターリバーン政権下

2021年8月13日ターリバーンの攻勢によりヘラートは制圧された。イスマーイール・ハーンは市内にとどまり、ターリバーンに一時拘束された[3]。市内は平穏を取り戻し、数日後には女子生徒が学校へ通学する姿も見られるようになった[4]。一方、ターリバーンが1990年代に行った極端な原理主義の再導入を危惧して、9月3日には女性によるデモも発生した[5]

2021年9月25日、ターリバーンは射殺した誘拐犯とされる男の遺体を中央広場に運び、見せしめのためにクレーンで吊るした[6]
脚注^[1]
^ “ ⇒The Empire and Expeditions of Alexander the Great”. World Digital Library (1833年). 2013年7月26日閲覧。
^ “タリバンが「ヘラートのライオン」拘束、アフガンの軍閥指導者”. AFP (2021年8月13日). 2021年9月5日閲覧。
^ “西部都市ヘラートで女子生徒の登校再開 タリバン制圧数日後”. AFP (2021年8月21日). 2021年9月4日閲覧。
^ “アフガン女性ら、タリバンに抗議デモ 「私たちは90年代とは違う」”. 朝日新聞DIGITAL (2021年9月4日). 2021年9月4日閲覧。
^ “拉致犯とされる4人の遺体、つり下げさらす タリバン”. CNN (2021年9月26日). 2021年9月26日閲覧。
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関連項目

トルコ・イスラーム文化










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