ヘラクレイオス
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皇帝をはじめとする東ローマ帝国の人物名について、日本人の研究者の間では、公用語がラテン語であったフォカスまでをラテン語で、ギリシア語に改めたヘラクレイオス以降はギリシア語で表記するのが一般的である[6]

また、629年サーサーン朝に勝利して首都コンスタンティノポリスヘ凱旋したヘラクレイオスは、従来の皇帝の称号「インペラトルラテン語: Imperator)/アウトクラトールギリシア語: α?τοκρ?τωρ/Autokrator)」ではなく、「キリスト信者のバシレウス」と名乗った[7]。それまで「バシレウス(ギリシア語)」はサーサーン朝など周辺諸国の「王」を示す言葉であったが、以後これが東ローマ帝国における皇帝の称号として定着することになった。
家族

ヘラクレイオスは正式に二度結婚している。最初は610年にRogasの娘ファビア(580年 - 612年)と結婚。同時にファビアは名をエウドキアに改名した。以下の1男1女がいる。

エウドキア・エピファニア(611年 - ?)

コンスタンティノス3世(612年 - 641年

二度目は実の姪(妹マリアの娘)マルティナと結婚。少なくとも10人の子を儲けたが、2人は障害者で近親結婚と非難された。

コンスタンティノス(コンスタンティヌスとも。615年 - 631年)- 615年にカエサルと命名。

フラウィウス(ファビウスとも。616年 - 631年)- 首に麻痺があった(脊柱側弯症とされる)。

テオドシウス(テオドシオスとも。622年 - 641年以降)- 聴覚障害があった。Shahrbaraz の娘ニケと結婚。

ヘラクロナス(ヘラクレイオス2世とも。626年 - 641年以降)

ダヴィド(後にティベリウス(ティベリオス)に改名。630年11月7日 - 641年以降)- 638年にカエサル(副帝)とされる。641年の兄ヘラクロナスと母マルティナの追放劇に巻き込まれ、ロードス島に追放された。

マリヌス(632年 - 641年以降)- カエサル(副帝)。

アウグスティナ(634年 - 638年)- 638年にアウグスタの称号を得る。

マルティナ(636年 - 638年)- 638年にアウグスタの称号を得る。

フェブロニア(生没年不詳)

アナスタシア?(マルティナと同一人物か別人かについては不明)

他に618年生誕の子と620年生誕の子(2人は名前不詳で631年没)がいるといわれているが、マルティナとの子女についてはその人数と名前、生まれた順番に議論がある)。

少なくとも1人の非嫡出子がいる。生母の名は不明だが、一説に585年頃に生まれた娘(パトリキウスの称号を持っていたゲルマヌスの次女)とされる。

ヨハンネス・アタラリック(600年/601年~610年の間 - 637年以降?/650年以降?) - 祖父とされるゲルマヌスはレオンティアという女性を妻としており、娘の1人(長女。名前不詳、583年頃生誕)はマウリキウス帝の長男テオドシウス(583年 - 602年)と結婚している。更にゲルマヌスの母は東ゴート王国を建国したテオドリックの孫娘マタスンタと一説に考えられており、これが事実なら、ヨハンネスはテオドリックの来孫で、アマラスンタの玄孫、マタスンタの曾孫、レオンティアの孫になり、東ゴート王家(アマル家)とユスティニアヌス王朝ヘラクレイオス王朝の血を引いていることになる。また、ゲルマヌスの父といわれるゲルマヌス・ユスティヌスの母はアニキア・ユリアナの娘(ユリアナの曾祖母の1人はガッラ・プラキディアウァレンティニアヌス3世はユリアナの祖父)との仮説からコンスタンティヌス朝ウァレンティニアヌス朝テオドシウス朝ローマ帝国末期の有力貴族アニキア家を先祖に持つ可能性がある。しかし、ゲルマヌスの出自については史料が少なく、マタスンタがゲルマヌスと再婚して同名の息子を儲けたこと、かつ上記の系譜は当時の有力者の血縁関係を下に考えられている為、確定は出来ない。ヨハンネスが最初に史料に登場するのは622年にヘラクレイオスがアヴァール人と平和協定を結ぶ際の人質としてである。その後、ヨハンネスはヘラクレイオスに対する陰謀(帝位簒奪)とマルティナの打倒を企てて失敗し、鼻と手を切断された。一説にヨハンネスはコンスタンティノス3世の孫コンスタンティノス4世の皇妃アナスタシアの父とされる。これが正しければ、ユスティニアノス2世の祖父となる。

ヨハンネスの系譜関係については、ヘラクレイオスの非嫡出子ではなく、540年に当時の東ゴート王ウィティギスが降伏して、ウィティギスと共にコンスタンティノポリスに送られた貴族の一団の中にいたアマラフリード王子(511年頃 - 552年以降に没。560年頃か?)、テオドリックの妹アマラフリーダの孫でアマラベルガがテューリンゲン王ヘルマンフリートに産んだ息子。ロデリンダの兄))の直系子孫(アマラフリード王子には詳しい事績が分からないアルタキスという息子がおり、ヨハンネスを孫もしくは曾孫以下と仮定)する説がある。[8]もう一つ、ヘラクレイオスの非嫡出子かつアマラフリード王子の子孫とする説がある。この場合ヘラクレイオスはアマラフリード王子と直接の血縁関係はない為、母方の家系(ヨハンネスの母の先祖)がアマラフリード王子の血を引いている可能性が考えられる。
脚注[脚注の使い方]^ オストロゴルスキー2001、p.112。
^ 「敵にとり、何とよい国であることか」との訳語もある。
^ 島崎(2010)pp.146-147
^ Davis 1990, p. 260.
^ギリシャ人#東ローマ帝国時代」参照
^東ローマ帝国の皇帝一覧」参照
^ローマ王」、「皇帝#東ローマ帝国」も参照
^ Wolfram Brandesの説。

関連項目

十字架挙栄祭 - 正教会の祭。帝国全土で祝われるきっかけとしての7世紀の逸話に、ヘラクレイオスが登場する。

参考文献

ゲオルグ・オストロゴルスキー 著、和田廣 訳『ビザンツ帝国史』恒文社、2001年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4770410344。 

島崎晋 『名言でたどる世界の歴史』 PHP研究所、2010年6月。ISBN 978-4-569-77939-3

井上浩一 『ビザンツ皇妃列伝』 筑摩書房、1996年

Davis, Leo Donald. The first seven ecumenical councils (325?787): their history and theology (1990 ed.). Liturgical Press. ISBN 0-8146-5616-1  - Total pages: 342










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