ヘア解禁
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7月10日には、東京国際映画祭で『美しき諍い女』が無修正のまま、芸術性を競う目的のもとで上映される。これは各国映画祭では無修正で上映されるものが日本だけではできないのはおかしいという税関と映倫の判断によるもので、芸術性の高いものに関してはヘア表現が許される流れを生んだ。

そして1992年4月27日、映倫は猥褻基準の見直しを公表、10月から「原則として日常生活を描写したところでの陰毛表現は問題なし」との見解を出し、これにより流れは決定的に変わる。同年6月には東郷健が輸入ポルノ税関料収事件に勝訴、個人が楽しむ分にはお咎め無し、ということにもなった。

しかし一方で警察は「陰毛よりさらに過激化した性器の露出表現」に対して取り締まりを進めた。結果、1991年5月『週刊テーミス』のAV現場撮影で男優の陰毛のみならず性器が未修正で掲載された件で編集長は始末書を提出し、同誌は廃刊、同7月に狙って性器を掲載した『スパイ』誌もほどなく摘発され廃刊となっている。1994年には、加納典明の『ザ・テンメイ』への警告に続き、翌1995年2月、『きくぜ2!』を摘発、加納と竹書房社長を逮捕し、『ザ・テンメイ』を休刊に追い込んでいる[4][16]

また、依然として陰毛表現に対しても、1992年4月にヘアヌードを載せた荒木経惟の『写狂人日記』を摘発、『週刊ポスト』へ警告を発するなどしており、1993年1月の『週刊新潮 1/14両号』のヘアヌードでは「発行部数の多さ」、「芸術性は認められるものの、一部でヘアー解禁を受けとめられるおそれがある」(警視庁)との理由で事情聴取を行っている。だが、宮沢りえ以降の勢いはとどまることなく、ヘアを理由とした規制は行われなくなり、大量のヘアヌード写真集が1990年代を通じて出版された[17]
1990年代後半・「一般化」

1995年以降インターネットが一般化していくと、直接無修正の海外表現を閲覧できるようになって、陰毛が写っているかどうかを猥褻の基準とすることは、まったく無意味なものとなってきた[18]。そのため雑誌(週刊誌月刊誌等)のグラビアや写真集、アダルトビデオイメージビデオ等様々な媒体でヘアが写っていることは特別なことでは無く、むしろ雑誌にヘアヌードが無ければおかしいぐらいに毎週、毎月ヘアヌードを載せるようになり、中にはグラビア全てがアダルトモデルによるヘアヌードという一般誌もあった。こうして、ヌードは性器さえ見せなければ「ヌード=ヘアヌード」ということになり、多くのアダルトモデルがヘアヌードを見せるのはそのモデルを(AV女優に)売り出すための手段となってきていた。しかし、話題性としてのヘアヌードは残り、大物芸能人によるヘアヌード写真集が断続的に出版され続ける[19][注 3]

1990年代も終盤になると、過熱化したヘアヌードの流行も沈静化の方向に向かっていくが[21][22][23][24]、1997年には宮沢同様に当時トップアイドルであった菅野美穂の『NUDITY』が話題をさらう[25][26]。さらに2000年代に入るとインターネットの利用も国民化し、出版不況と言われる状況になってきていたが、そのよう中でも2002年に松坂慶子の『さくら伝説』が大きな売上を上げるなどした[27][28]
2000年以降 「新たな規制」

こうしてヘアヌード全体への弾圧はなくなったが、官憲の規制は、青少年保護を理由に行われるようになっていく[4]

2004年(平成16年)2月に日本フランチャイズチェーン協会(JFA)が出版倫理協議会に対し、「すべての不健全図書に対し、未成年が閲覧できないように包装、帯封などを完全実施する」などの自主規制強化方針を提示し、それを受けて大手週刊誌『週刊ポスト』『週刊現代』がヘアヌードグラビアの掲載を取りやめ、後に袋とじなどでの掲載に切り替えた。そうしてヘアヌードは主に写真週刊誌「フライデー」「フォーカス」、そして「実話誌」と呼ばれる雑誌に掲載されるようになっていたが、東京都庁の青少年・治安対策本部が07年12月下旬、週刊誌3誌の編集長を呼び、「青少年健全育成条例に反するグラビアの掲載を取りやめない場合は有害図書指定を行う」とほのめかして規制を図った[29]

また、ヘアこそ猥褻基準から外れたものの、性器表現は江戸時代の春画であっても「わいせつ」と判定されることがあり、2015年には春画とヌードを同時掲載した雑誌が警視庁に口頭で指導を受けている[30]

インターネットの一般化によって、こうしたヘアを含めてのポルノ規制は、国境を軽々と超え、年齢制限の議論も空洞化し、日本におけるヘア解禁は、ようやくこの流れに間に合ったともいえる。
女性目線のヌード

写真家の更井真理は女子目線のヌード写真集を発表し、話題となった[31]。「子どもたちにとって不健全なヌードを隠れて見るよりも、健全なヌードをもっと目に触れさせる機会をどんどん増やすべきだ。性に対して正しい目が持てる(保守派の木元教子)」という理由から、学校の図書館に宮沢りえ『Santa Fe』(篠山紀信撮影)を入れようという運動すら起きている[32]

ヌードもいとわぬ女優の三浦綺音は、「いかにも男の目線を意識している」中途半端なポーズを嫌い、「そんなことするくらいなら全部脱いだ方が気持ちいい」と発言した[33]。1999年の江角マキコ『ESUMI』は男性だけでなく女性からも好感をもたれた[34]

2009年、hitomiの『LOVE LIFE2』は、妊娠中に撮影された「マタニティーヌード」で、同世代女性からの反響が大きく、一部の妊婦のあいだでヌード撮影を行う現象が起きた[35][36]
主な写真集

モデルタイトル撮影出版年月出版社・備考
樋口可南子water fruit篠山紀信1991年2月朝日出版社。ヘアヌード解禁の記念碑的写真集。
松尾嘉代黄金郷大森雄作1991年7月大陸書房。当時48歳で、「熟女ヘアヌード」の嚆矢となった。
本木雅弘white room篠山紀信1991年8月朝日出版社
宮沢りえSanta Fe篠山紀信1991年11月朝日出版社。当時のトップアイドルによるヘアヌード写真集。新聞の全面広告も話題になる。
(複数モデル)愛のかたち Love is Love金沢靖1992年6月竹書房
島田陽子KirRoyal遠藤正1992年9月竹書房
石田えり罪-immorale-ヘルムート・ニュートン1993年3月講談社。世界的に著名な写真家による写真集。
辺見マリINFINITO谷口征1993年5月竹書房
山本リンダWANJINA遠藤正1993年5月竹書房
麻生真宮子FAKE渡辺達生1993年6月スコラ
西川峰子PRIVATE佐藤健1993年7月風雅書房
川島なお美WOMAN渡辺達生1993年8月ワニブックス
デヴィ・スカルノMadame D 秀雅藤井秀樹1993年11月スコラ
にしきのあきらREVOLUTION45清水清太郎1993年12月リイド社
宮崎ますみXX Holy Body長濱治1993年12月勁文社
YELLOWS五味彬1993年日本初のCD-ROM写真集。1991年に発売中止になった写真集をCD-ROM化。
大竹一重ひとえ沢渡朔1994年5月竹書房。ミス日本グランプリ大会の部門賞「ミスフラワー」。
竹井みどり小樽ホテル沢渡朔1994年11月リイド社
高岡早紀one、two、three篠山紀信1995年1月ぶんか社
大沢樹生Trip川口裕久1995年6月ぶんか社
荻野目慶子Breezy day篠山紀信1995年11月朝日出版社
藤田朋子遠野小説荒木経惟1996年発売直後に急遽発売中止。
ビビアン・スーVENUS陳文彬1996年7月ぶんか社
天地真理東京モガ沢渡朔1997年7月モッツ・コーポレーション/リイド社
菅野美穂Nudity宮澤正明1997年8月インディペンデンス。20歳の誕生日に発売。発売記者会見で菅野が泣き話題に。
首藤康之POSSESSION操上和美1997年10月光琳社出版
原千晶BORABORA篠山紀信1997年11月小学館。1995年度の「クラリオンガール」。
林葉直子SCANDAL野村誠一1998年テイアイエス
葉月里緒菜RIONA篠山紀信1998年ぶんか社
杉田かおる女優ごっこ篠山紀信1998年小学館。写真集発売後にバラエティー番組等への出演が増え再ブレイク。


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