ヘアヌード
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だが、宮沢りえ以降の勢いはとどまることなく、ヘアを理由とした規制は行われなくなり、大量のヘアヌード写真集が1990年代を通じて出版された[17]
1990年代後半・「一般化」

1995年以降インターネットが一般化していくと、直接無修正の海外表現を閲覧できるようになって、陰毛が写っているかどうかを猥褻の基準とすることは、まったく無意味なものとなってきた[18]。そのため雑誌(週刊誌月刊誌等)のグラビアや写真集、アダルトビデオイメージビデオ等様々な媒体でヘアが写っていることは特別なことでは無く、むしろ雑誌にヘアヌードが無ければおかしいぐらいに毎週、毎月ヘアヌードを載せるようになり、中にはグラビア全てがアダルトモデルによるヘアヌードという一般誌もあった。こうして、ヌードは性器さえ見せなければ「ヌード=ヘアヌード」ということになり、多くのアダルトモデルがヘアヌードを見せるのはそのモデルを(AV女優に)売り出すための手段となってきていた。しかし、話題性としてのヘアヌードは残り、大物芸能人によるヘアヌード写真集が断続的に出版され続ける[19][注 3]

1990年代も終盤になると、過熱化したヘアヌードの流行も沈静化の方向に向かっていくが[21][22][23][24]、1997年には宮沢同様に当時トップアイドルであった菅野美穂の『NUDITY』が話題をさらう[25][26]。さらに2000年代に入るとインターネットの利用も国民化し、出版不況と言われる状況になってきていたが、そのよう中でも2002年に松坂慶子の『さくら伝説』が大きな売上を上げるなどした[27][28]
2000年以降 「新たな規制」

こうしてヘアヌード全体への弾圧はなくなったが、官憲の規制は、青少年保護を理由に行われるようになっていく[4]

2004年(平成16年)2月に日本フランチャイズチェーン協会(JFA)が出版倫理協議会に対し、「すべての不健全図書に対し、未成年が閲覧できないように包装、帯封などを完全実施する」などの自主規制強化方針を提示し、それを受けて大手週刊誌『週刊ポスト』『週刊現代』がヘアヌードグラビアの掲載を取りやめ、後に袋とじなどでの掲載に切り替えた。そうしてヘアヌードは主に写真週刊誌「フライデー」「フォーカス」、そして「実話誌」と呼ばれる雑誌に掲載されるようになっていたが、東京都庁の青少年・治安対策本部が07年12月下旬、週刊誌3誌の編集長を呼び、「青少年健全育成条例に反するグラビアの掲載を取りやめない場合は有害図書指定を行う」とほのめかして規制を図った[29]

また、ヘアこそ猥褻基準から外れたものの、性器表現は江戸時代の春画であっても「わいせつ」と判定されることがあり、2015年には春画とヌードを同時掲載した雑誌が警視庁に口頭で指導を受けている[30]

インターネットの一般化によって、こうしたヘアを含めてのポルノ規制は、国境を軽々と超え、年齢制限の議論も空洞化し、日本におけるヘア解禁は、ようやくこの流れに間に合ったともいえる。
女性目線のヌード

写真家の更井真理は女子目線のヌード写真集を発表し、話題となった[31]。「子どもたちにとって不健全なヌードを隠れて見るよりも、健全なヌードをもっと目に触れさせる機会をどんどん増やすべきだ。性に対して正しい目が持てる(保守派の木元教子)」という理由から、学校の図書館に宮沢りえ『Santa Fe』(篠山紀信撮影)を入れようという運動すら起きている[32]

ヌードもいとわぬ女優の三浦綺音は、「いかにも男の目線を意識している」中途半端なポーズを嫌い、「そんなことするくらいなら全部脱いだ方が気持ちいい」と発言した[33]。1999年の江角マキコ『ESUMI』は男性だけでなく女性からも好感をもたれた[34]

2009年、hitomiの『LOVE LIFE2』は、妊娠中に撮影された「マタニティーヌード」で、同世代女性からの反響が大きく、一部の妊婦のあいだでヌード撮影を行う現象が起きた[35][36]
主な写真集

モデルタイトル撮影出版年月出版社・備考
樋口可南子water fruit篠山紀信1991年2月朝日出版社。ヘアヌード解禁の記念碑的写真集。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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