1931年10月24日、日本プロレタリア文化連盟(コップ)にその結成とともに加盟した。
1933年1月、日本プロレタリア科学同盟に改組された。
メンバーには永田広志、早川二郎、山室静、平野謙、松本正雄、新島繁、胡風、武藤丸楠、村山重忠、事務局員に林田茂雄らがいる。
一般に、プロ科は日本共産党支持者の集まりであり外廓団体である、と見られている。一方で、早いうちからプロ科に大衆団体化を求める声があり、1931年頃党の指導が強まる中でこの声が大きくなってゆき、左翼の科学運動団体化の構想を経て、結局、他の文化運動の分野と同様に、政治的主張を先鋭化した大衆団体と実質上区別できないものになっていく。こうして、プロ科がセクト化し大衆的支持も衰えていったことが指摘されている[9]。
脚注
注釈^ 1929年9月30日付けで国際文化研究所の解散宣言。10月13日付けでプロレタリア科学研究所創立宣言。創立宣言の起草者は、三木清、蔵原蔵人、奈良正路。創立宣言は「プロレタリア科学研究者の統一と協力による相互発展、社会の動きに先きんずべき科学者の責任の自覚、ブルジョア科学の克服の必要等」を強調している。小山弘健『日本マルクス主義史』青木書店、1956年 p.5
^ 「研究を通じての啓蒙の雑誌」として刊行。
^ 1931年5月、「研究発表の機関」として創刊された
^ 「研究に必要な資料の紹介・批判の機関」として刊行。
出典^ 「プロレタリア科学研究所規約」第2條
^ 「プロレタリア科学研究所規約」第6條
^ 「プロレタリア科学研究所々員名簿」
^ 「プロレタリアかがくけんきゅうじょ【プロレタリア科学研究所】」、国史大辞典
^ 大原クロニカ 『社会・労働運動大年表』解説編《プロレタリア科学》[社]1929.10.13
^ 梅田俊英「プロレタリア科学」「マルクス主義の旗の下に」「日本資本主義発達史講座」、平凡社世界大百科事典
^ 渡辺悦次「コップ」「羽仁五郎」、平凡社世界大百科事典
^ 国立国会図書館蔵書検索申込システム
^ 『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版 梅田俊英著『社会運動と出版文化 ――近代日本における知的共同体の形成』評者 伊藤晃
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