また単行本化されなかった雑誌記事が若干ある他、死後に出た文集『未知の女への書簡集』(1873年)は好奇心の大きな的となり、続けて『もう一人の未知の女への書簡集』(1875年)が出た。
『メリメ全集』(杉捷夫・江口清ほか訳、河出書房新社、1977?79年)が出版[2] 1834年から、プロスペル・メリメはフランス領土全体の傑出した建造物の調査に着手した。これはアンドレ・マルローの打ち出した「フランスの芸術的な歴史的建造物や資産の総合目録」を1世紀も先取りするものであった。 彼の栄誉を讃え記念し、フランス文化省は歴史的建造物と、傑出した建築遺産を調査する「メリメ・データベース」を創設した。 同時期のロマン派の作家同様、メリメは異国への憧れや情熱への志向を抱いていた[1]。しかし、彼らとは異なり、懐疑的かつ厭世的なメリメは作品の中で過剰な感情の露出を抑え、皮肉ともいえる客観的な著述を行っていた[1]。そのため、文学史上においてメリメはロマン主義の作家としてよりも、早く生まれた写実主義者として見なされている[1]。 批評家シャルル・デュボス 以下は全てフランス語のサイト。
第1・2・3巻は小説、第4・5巻は史伝、第6巻は「人物評論・美術評論・紀行文」
メリメ・データベース
作風、批評
脚注^ a b c d e f g h バート「メリメ」『世界伝記大事典 世界編』11巻、165-166頁
^ なお当初は全7巻予定だったが、6巻目まで刊行だった。未刊行の第7巻は「書簡・雑文」
参考文献
B.F.バート「メリメ」『世界伝記大事典 世界編』11巻収録(桑原武夫編, ほるぷ出版, 1981年6月)
翻訳元参考文献
Charlotte Fruton, Merimee et la medecine, These de doctorat en medecine, 1938
Pierre Trahard, Prosper Merimee et l’art de la nouvelle. Paris, Nizet, 1952
Pierre Trahard, La Jeunesse de Prosper Merimee (1803-1834), Paris, E. Champion, 1925
Pierre Trahard, Prosper Merimee de 1834 a 1853, Paris, H. Champion, 1928
Pierre Trahard, La Vieillesse de Prosper Merimee (1854-1870), Paris, H. Champion, 1930
関連項目
ウジェニー・ド・モンティジョ - メリメはウジェニーの母マヌエラのサロンに出入りし、一時期はマヌエラの愛人であった。後年メリメが元老院議員になれたのも、ウジェニーやマヌエラとの付き合いがあったからである。メリメが『カルメン』を書くきっかけとなったのもマヌエラで、ある晩サロンで話題になった盗賊の話が作品の元となった。
外部リンク
⇒アカデミー・フランセーズの略歴
⇒フランス文化省のメリメのページ
⇒Culture.frの「メリメと記念建造物遺産」