日本では1960年代までは、全ての選手がアマチュアであった。1965年、日本で初の全国リーグである日本サッカーリーグが創設された。1970年代頃になると、同リーグ所属クラブの母体の企業は、選手のサッカーの練習を実質的に業務と見做し、練習時間を就業時間[37]と認めて選手[38]に給与を支払ったりしたほか、その他様々な名目[39]で金を渡す事が一般的となった。こうした形態は完全にIOCやFIFAが定める「アマチュア」ではなかった。更に1969年創設の読売クラブでは、サッカー競技をする事そのものに対して報酬を支払っていた。こうした形態は、日本サッカーリーグ事務局および日本サッカー協会によって追認され、1985年からはスペシャル・ライセンス・プレーヤー制度(実質的なプロ契約)となった。当初のスペシャル・ライセンス・プレーヤーとしては、西ドイツ(当時)でブンデスリーガの1.FCケルンなどでプレーした奥寺康彦[40](古河電気工業サッカー部)および木村和司(日産自動車サッカー部)の2名が登録された。しかし当時の多くの選手は「アマチュア」とは言えないものの、サッカー競技以外で何らかの収入を得ている状態であった。たとえば日立サッカー部や古河電工サッカー部などは、ほとんどの選手をアマチュアとして登録していた。
やがて、1980年代末から1990年代初めにかけて、プロリーグ化への気運がクラブやその母体、選手間で徐々に顕在化しはじめ、ほとんどの選手がプロフェッショナルとして登録されるようになった。1993年に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が開幕するに至って、サッカーの選手がプロフェッショナルとしてプレーする事が以降は一般的となった。 少なくない世界のプロクラブは、年齢によって「ユース」や「ジュニアユース」あるいはそれ以下といったカテゴリーの若年選手によるチームも所有している。これらはアマチュアチームである。また、ドイツのプロクラブ、及び、日本のFC岐阜SECONDやファジアーノ岡山ネクストなどといった、年齢制限の無いアマチュアチームを所有している例もある。このように、サッカー競技におけるクラブの形態としては、プロチームを頂点として、その下にカテゴリー別のアマチュアチームを抱えるピラミッド型構造を有することはごく一般的である。これらのカテゴリーに所属しているアマチュア選手が同クラブのプロチームの試合に出場する事については、ほとんどの場合何の制限も設けられていない。 また各国の協会は、管轄内のクラブについて、プロチームだけでなくアマチュアチームを含む全所属チームも通常は統括している。これによって、その協会に加盟していればプロフェッショナル・アマチュアを問わず参加資格を与えることもでき、協会所属の全てのクラブ・チームが参加するトーナメントなどの開催が可能となっている。こうした大会としては、イングランドのFAカップや日本の天皇杯全日本サッカー選手権大会などがある。 日本国内のプロ選手については、日本サッカー協会(JFA)が管轄している。契約形態は、選手の過去の実績に応じて以下の3段階の契約に分かれている。 いわゆる「一般的なプロ契約」のことである。契約書には白色の紙が用いられる。 選手がこの契約を結ぶためには、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の公式戦(リーグ戦、カップ戦、スーパーカップ)および日本フットボールリーグ(JFL)の公式戦(リーグ戦、スーパーカップ)、天皇杯全日本サッカー選手権大会において、一定以上の時間試合に出場するといった実績が必要である。基準となる時間については、たとえば以下の通りである。
サッカーにおけるプロとアマチュアの位置づけ
日本のプロサッカー選手詳細は「Jリーグの選手契約条件」を参照
プロA契約
J1で450分(5試合フル出場相当)
J2で900分(10試合フル出場相当)
J3あるいはJFLで1350分(15試合フル出場相当)
他に、サッカー日本代表としての国際AマッチやFIFA U-20ワールドカップ本選、AFCチャンピオンズリーグなどを計算に含めることが可能である。