プロイセン王国
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首相1
1848年3月19日 - 3月29日アドルフ・ハインリヒ・フォン・アルニム=ボイツェンブルク(初代)
1918年10月3日 - 11月9日マクシミリアン・フォン・バーデン(最後)

面積
1910年[2]348,779.87km²

人口
1816年[3]10,349,031人
1871年[3]24,689,000人
1910年[4]34,472,509人

変遷
成立1701年1月18日
フランスによる占領1806年10月14日
国土回復1815年6月9日
立憲君主制導入1848年12月5日
ドイツ国成立1871年1月18日

通貨ライヒスターラー
(1750年以前)
プロイセン・ターラー
(1750年 - 1857年)
フェアアインスターラー
(1857年 - 1871年)
金マルク
(1871年 - 1914年)
パピエルマルク
(1914年以降)
現在 ドイツ
ベルギー
 チェコ
 デンマーク
 リトアニア
ポーランド
ロシア
1北ドイツ連邦ドイツ国(帝政)(1867年 - 1918年)の時代は、プロイセン宰相はドイツ宰相を兼職。カテゴリも参照。


ブランデンブルクプロイセンの歴史
ノルトマルク
965年 - 983年プルーセン
先史 - 13世紀
リューティチ族(英語版)
983年 - 12世紀
ブランデンブルク辺境伯領
1157年 - 1618年(1806年)ドイツ騎士団国
1224年 - 1525年
プロイセン公国
1525年 - 1618年(1701年)王領プロイセン
1454年 / 1466年 - 1772年
ブランデンブルク=プロイセン
1618年 - 1701年
プロイセン王国
1701年 - 1772年
プロイセン王国
1772年 - 1918年
プロイセン自由州
1918年 - 1947年クライペダ地方
1920年 - 1939年 / 1945年 - 現在回復領
1918年 / 1945年 - 現在
ブランデンブルク州
1947年 - 1952年 / 1990年 - 現在カリーニングラード州
1945年 - 現在

プロイセン王国(プロイセンおうこく、: Konigreich Preusen)は、ホーエンツォレルン家の君主が統治したヨーロッパ王国である。現在のドイツ北部からポーランド西部にかけてを領土とし、首都はベルリンにあった。

プロイセン王国は、18世紀から20世紀初頭にかけて栄えた王国である。その前身は1660年オリヴァ条約ポーランド王国の封土の地位から独立したプロイセン公国、およびドイツ国民の神聖ローマ帝国領邦であるブランデンブルク辺境伯領である[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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