プレイム事件
[Wikipedia|▼Menu]
実際のところ、CIAは2002年10月5日10月6日に根拠薄弱というメモを渡していた上、テネット長官も10月7日には、ブッシュの演説から削除するよう電話していたのである。7月22日に、スティーブン・ハドリー大統領副補佐官がバートレット大統領法律顧問と記者会見を開き、自分がついその事を「忘れて」しまったのだと釈明した。恐らく、テネット長官が大統領から任命されている以上、大統領自体を非難できないので、部下を非難したものと考えられている。

その結果、2003年9月28日にCIAは司法省に対して機密情報漏洩に関する調査を依頼する事態となった。ウォーターゲート事件では証拠隠滅の批判で政権が転覆したという教訓があるだけに、政府は徹底捜査を支持せざるを得なかった。2003年10月24日、FBIはスコット・マクラレン報道官やカール・ローヴに対する事情聴取を行なった。2003年12月30日に、パトリック・フィッツジェラルド特別検察官はジョン・アシュクロフト司法長官によってこの事件解明のために任命され捜査を続けた。捜査は政府高官らの圧力や嫌がらせ、マスコミの情報源の秘匿などの圧力があったため、非常に難航した。大陪審は『タイム』のマット・クーパー記者と『ニューヨーク・タイムズ』のジュディス・ミラー記者を召還したが、二人は拒否し法廷侮辱罪で収監された。両社は最高裁に上告したが棄却となった。クーパーは『タイム』誌が取材メモ・電子メールでのインタビューなどを提供したため収監を免れたが、ミラーは収監を免れるため自ら情報を公開したためアメリカ合衆国のメディアからバッシングを食らった。フィッツジェラルドは22ヵ月に及び取り調べを行い、連邦捜査局(FBI)や大陪審に対する偽証などに焦点を絞り遂に立件した。
起訴

連邦大陪審は2005年10月28日ディック・チェイニー副大統領のルイス・リビー首席補佐官を偽証、嘘誓がそれぞれ2件、司法妨害が1件の計5つの訴因で起訴した。起訴容疑からは「情報漏洩」は除かれている(リビーの嘘のためチェイニーの疑惑が明らかにならなかったの意)。起訴を受けてリビーは副大統領補佐官の職を辞した。なお、ブッシュ大統領のカール・ローヴ次席補佐官については起訴は見送られた。このためひとまずブッシュ大統領にとっては大統領主導の情報操作疑惑という最悪のシナリオは避けられた。本来なら彼はリビーと一緒に起訴される予定だったのだが、ローヴ補佐官が2003年にホワイトハウスの同僚と交わしたEメールは、意図的にFBI捜査員をミスリードする意志はなかったとするローヴの主張を裏付けるようにも読み取れたためである。ローヴはその後も騒がれた後、リチャード・アーミテージ元国務副長官から聞いたという事になった。

リビーは、CIAエージェントの身元がヴァレリー・プレイムであることを「ジャーナリストたちから聞いた」と繰り返し主張していた。起訴状ではプレイムについては2003年6月にディック・チェイニーから聞いたと、まったく違った事実が記載されている。
裁判

2006年4月、リビーは大陪審でブッシュ大統領が事件に直接関与していたと証言した。2006年8月、ノバクに対する情報漏洩はアーミテージが行ったということになった。彼は2006年9月7日CBSで自らが情報源であることを認め、自分に非があるということを認めた。しかし、フィッツジェラルドはこの件は起訴しなかった。アーミテージはイラク戦争に批判的でありその関与は、ホワイトハウスの陰謀の一部として発表されたというブッシュ政権評論家の主張に適合しなかった。アーミテージは自分が述べたときには既に政府内では誰でも知っている事であって、故意ではなかったと主張した。

2007年1月16日に裁判は開始されたが、捜査段階で取材源の秘匿を打ち出し抵抗したメディアが、裁判で一転して積極的に証言に応じた。裁判では、チェイニー副大統領の積極的指示、ローヴ補佐官、アーミテージ元国務副長官の関与も明らかにされたが全て不問となった。裁判で弁護側は、リビーは「いけにえ」にされたと主張した。実際、陪審員は全員起訴されていない他のメンバーも疑っていたという。2007年3月6日、ワシントン連邦地裁の陪審はルイス・リビーに対し起訴された5つの罪状のうち連邦捜査局に対する偽証以外の4つについて有罪とする評決を出した。評決後フィッツジェラルドの述べたチェイニーの疑惑についての「暗雲(cloud)」という表現は一瞬のうちに流行語となった。この事件で渦中に巻き込まれたヴァレリー・ウィルソンは2007年3月16日に、米下院政府改革委員会の公聴会に出席する。CIAの秘密工作員経験者が米議会で証言するのは極めて異例の事であるが、ブッシュ政権を批判する民主党がこの事件を追及した事によりこの証言が実現した。CIAでの活動歴については、自分は身分を偽装し世界各地で大量破壊兵器の情報収集にあたる事が任務であった事を語った。

判事による量刑言い渡しは6月5日に行われ、リビー被告は禁固2年6ヶ月の実刑判決を受ける。ワシントンの保守派団体などの間からブッシュ大統領による恩赦を求める声が多かった。ブッシュ大統領は刑の免除は拒否したものの7月2日に大統領権限で執行猶予に減刑して、世論の反発を招いた。なお、恩赦は2018年にドナルド・トランプ大統領が行った。
書籍・映画

プレイム事件の詳細は、ジョゼフ・ウィルソンの回顧録『The Politics of Truth』、ヴァレリー・プレイムの回顧録『Fair Game』として出版されている。

映画『フェア・ゲーム』(2010年)は、第63回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品された。ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞では「表現の自由賞」を受賞している。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:16 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef