プレイガール_(テレビドラマ)
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なお、2012年10月20日には、ファミリー劇場で「プレイガール2012」が放送されている。
企画経緯

戸川昌子原案をテレビドラマ向けに脚色した女性版『ザ・ガードマン』と告知されていたが[4]、1969年1月13日にあった製作発表会では職業は「女性国際秘密保険調査員」で、保険業務に絡む殺人事件などを解決する"女上位時代のお色気アクションと発表された[11]。また当初予定されていた立ち上げメンバーは、戸川昌子沢たまき應蘭芳緑魔子大原麗子の5人だったが[4][12]、5人の女サムライは、沢たまき、緑魔子、應蘭芳、真理明美桑原幸子に変更され[11][13]、戸川昌子はボスになった[11]。また製作発表時は1969年の4月からの放送で、曜日はまだ調整中と発表されたが[11]、月曜日の夜9:00という激戦区での放送が決まった[14]。第一話は1969年1月16日にクランクイン[13]サブタイトルは『情無用の女ども』から『男無用の女ども』に変更されている[13]

メンバーの職業は「女性国際秘密保険調査員」であるが[3][12]、捜査に行くわ、逮捕はするわのメチャクチャで、男の夢を具象化した全員"峰不二子みたいな設定[3]

東京12チャンネルは当時、科学教育の専門局であったが[1]、1968年末に『ローラーゲーム』や女子プロレス中継番組といった女性中心のスポーツ番組を放映し[4]、特に1968年11月22日に放映した女子プロレス中継が22.3%という同局始まって以来の高視聴率を稼いだことから、次はテレビドラマに力を入れようという方針が打ち出され[4]、お色気番組で実績を持つ東映に話が持ち掛けられた[4]。段々、東映の持ち味とするエロと暴力の傾向が強くなり始めたことから[1][15]、東京12チャンネルはかなり神経を使ったが[1]、尻上がりに人気が上昇していくに連れ、これを黙認することになった[1]タイトルに使用された『プレイガール』は"プレイボーイ"の反対語なので[16]、本来はモテる女を意味し[16]、東京12チャンネルサイドとしては、女と男の夜の駆け引きを描きたいと考えていたが[16]、やっぱり東映サイドが、事件を飾りものにし"女性上位時代のお色気アクションに変貌させた[16]

初期の女性レギュラー出演者が9人もいたため[1]、東映東京撮影所の女性専用トイレを慌てて増設した[1]。前述のように立ち上げメンバーは5人(「おっかさん」こと天戸昌子を除く)だったが、第6話ではユーミンが「ランファンとマコが不在なら、自分とルナ子を入れると数が揃う」と主張(第4話で万智子が押しかけた際は、マコが海外に出張していたため、万智子を入れて実質5名だった)。後に人数枠は撤廃され(その代わり、全員で事件に当たるケースがなくなる模様)、メンバーを演じた女性は総勢22人に上る[3]

第一回放送の撮影で1969年1月21日に報道陣を集めて、東京サマーランドでメンバーの水着ロケが行われた[12][13]。第一回放送に友情出演した美輪明宏は、戸川昌子と親しい間柄だったことからで、三島由紀夫特別出演の予定も告知されていた[4]

前評判も悪く[17]、当初は1969年秋までの26回の予定だったが[4]、人気を稼いだことから、1970年3月までの延長が決まり[15]、以降も人気を保ち、延長を重ねて5年半、全358話に及ぶ人気番組になった[3][17]。東京12チャンネルとしては抜群の13?14%の視聴率を稼いだ[17]アポロ11号の打ち上げを放送した1969年7月20日の放送では、NHK総合裏番組で12%の視聴率を稼ぎ、女の魅力健在を示し、業界関係者を驚かせた[15]

ゲスト出演したこともある口の悪い山城新伍は「二線級の女優さんばっかりで構成された『プレイガール』なる珍妙なテレビ映画が、にっくき12チャンネルなるローカル局中のローカル局で何年にもわたり、オン・エアされていたころ、安上がりな製作方法として、日本各地の観光協会タイアップして、現地へ撮影隊を繰り出し、宿泊、食事に至るまで、無料で提供させ、そのかわりドラマの中で、ちゃっかりその土地のPRを行い、ギブ・アンド・テイクで作品を作っていく手法を取っていた。


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