プレイガール_(テレビドラマ)
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東映映画本部長として東映作品のラインナップを事実上指揮していた岡田茂[5]当時、推進していたお色気路線[6]、テレビ向けにソフトにアレンジした[2]。1964年開局の新興ネットワーク、東京12チャンネル(現:テレビ東京)の名物番組となり、これにより東映は全民放キー局すべての受注を果たした[2]

東映京都撮影所で撮影した[7]旅がらすくれないお仙』(NET、1968年10月?1969年9月)と共に[1][8][9]、東映の東西撮影所で製作された作品が、時代劇及び現代劇における女性ハレンチアクションドラマの先駆けとなった[1]。当時のテレビ番組のお色気表現のエスカレートにも影響を与えた他[8]、両作品の成功で以降、各局が女性アクションドラマをこぞって製作した[1]。一番の売りだったパンチラは、小川ローザ丸善石油CMOh! モーレツ」が先行したものだったが[10]、1969年10月からフジテレビで本作の丸パクリ番組『フラワーアクション009ノ1』が放送されるほどだった[10]

テレビシリーズ終了後の1992年には、テレビ東京が「プレイガール'92」を単発で放送。2003年には、東映ビデオが劇場用映画としてリメイク版を制作したものの、興行成績は振るわなかった。なお、2012年10月20日には、ファミリー劇場で「プレイガール2012」が放送されている。
企画経緯

戸川昌子原案をテレビドラマ向けに脚色した女性版『ザ・ガードマン』と告知されていたが[4]、1969年1月13日にあった製作発表会では職業は「女性国際秘密保険調査員」で、保険業務に絡む殺人事件などを解決する"女上位時代のお色気アクションと発表された[11]。また当初予定されていた立ち上げメンバーは、戸川昌子沢たまき應蘭芳緑魔子大原麗子の5人だったが[4][12]、5人の女サムライは、沢たまき、緑魔子、應蘭芳、真理明美桑原幸子に変更され[11][13]、戸川昌子はボスになった[11]。また製作発表時は1969年の4月からの放送で、曜日はまだ調整中と発表されたが[11]、月曜日の夜9:00という激戦区での放送が決まった[14]。第一話は1969年1月16日にクランクイン[13]サブタイトルは『情無用の女ども』から『男無用の女ども』に変更されている[13]

メンバーの職業は「女性国際秘密保険調査員」であるが[3][12]、捜査に行くわ、逮捕はするわのメチャクチャで、男の夢を具象化した全員"峰不二子みたいな設定[3]

東京12チャンネルは当時、科学教育の専門局であったが[1]、1968年末に『ローラーゲーム』や女子プロレス中継番組といった女性中心のスポーツ番組を放映し[4]、特に1968年11月22日に放映した女子プロレス中継が22.3%という同局始まって以来の高視聴率を稼いだことから、次はテレビドラマに力を入れようという方針が打ち出され[4]、お色気番組で実績を持つ東映に話が持ち掛けられた[4]。段々、東映の持ち味とするエロと暴力の傾向が強くなり始めたことから[1][15]、東京12チャンネルはかなり神経を使ったが[1]、尻上がりに人気が上昇していくに連れ、これを黙認することになった[1]タイトルに使用された『プレイガール』は"プレイボーイ"の反対語なので[16]、本来はモテる女を意味し[16]、東京12チャンネルサイドとしては、女と男の夜の駆け引きを描きたいと考えていたが[16]、やっぱり東映サイドが、事件を飾りものにし"女性上位時代のお色気アクションに変貌させた[16]

初期の女性レギュラー出演者が9人もいたため[1]、東映東京撮影所の女性専用トイレを慌てて増設した[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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