プリンター(英: printer)とは、印刷用の機械の総称である。印刷機(いんさつき)などの名称でも呼ばれる。
本項では特に、コンピュータからの情報出力に用いる周辺機器としてのプリンターについて説明する。その他の印刷機械については、印刷機を参照。 プリンターは、コンピュータやワードプロセッサなどからの情報出力装置として使用される。時代や用途に応じて多種多様な方式がある。 コンピュータが登場するまでは、通信にはテレタイプが使われていた。1946年にENIACがペンシルベニア大学で制作された。演算結果を出力する必要が生じ、1947年にテレタイプを原型とした活字方式のコンピュータ用プリンターが登場し、米軍でも使用されるようになった。 1950年代から1970年代までは、活字プリンターやIBMのセレクトリックプリンター(下記)、グラフや図形を描きたい場合はプロッタなどが主に用いられていた。1970年代から1980年代半ばまでは、活字方式よりも多種類の文字を印字できるドットインパクトプリンターが主流となった。この時期のドットインパクト方式のプリンターは作動音が大きく、プリンタをまるごと覆う防音ケースなども販売されていた。また熱転写方式(感熱紙)を用いるサーマルプリンターも普及した。 1980年代半ばからは、企業向けにゼロックス社の複写機と同じ原理で細部まで印字され、音も静かなレーザープリンターが普及した。 1990年頃からインクジェットプリンターが台頭した。家庭向けには十分な性能で比較的安価であったため普及し、年賀状やグリーティングカードの印刷などに使われるようになった。当初は印字の品質や速度が低かったため企業向けとしてはさほど普及しなかったが、その後は技術の向上によりそうした欠点は改善され、2008年頃にはパソコン用プリンター出荷台数の3分の2をインクジェットプリンターが占めるまでになった。 2000年代初頭には、企業向けにはレーザープリンター、家庭向けおよび小規模オフィスではインクジェットプリンター、と棲み分けられる傾向が強まった。その後は個人向けの安価なレーザープリンターも普及した。またインクジェットプリンターは急速に低価格化が進み、2005年頃からはコピーやファクシミリ機能が搭載された複合機タイプが主流となった。 企業向けレーザープリンターは、モノクロ単機能タイプ(超高速大量印刷用や超安価印刷用など)から高機能複合機タイプまで用途に合わせた様々なタイプが販売されており、また伝票印刷ではドットインパクトプリンターも根強い需要がある。 タイプライターのように、文字ごとの字母の活字を紙に打ち付ける方式である。一般的なタイプライター同様の腕の先端に活字を植えたものや、球面に活字を植えた「IBMセレクトリックタイプライタ この節のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。
概要
印字方式による区分
活字プリンターデイジーホイール
先端に活字が植えられている。球面に活字を刻んだ「IBMセレクトリックタイプライタ方式」の活字セットの球。フォントなどの変更は違った球体セットを付け替えて行われた。通称ゴルフボールとも呼ばれた。
2ユーロ硬貨は大きさの比較として置いたもの。
活字プリンタの歴史
出典検索?: "プリンター"
活字プリンターの歴史は古く第二次大戦前からモールス符号を一旦鑽孔テープに採りそれを紙テープに印字するものから[要出典]、テレックス通信(5単位ボー符号)での印刷電信としては既に第二次大戦前の1921年頃のMorkrum[1]、テレタイプ、シーメンス、ホイートストンなどからテープ式、ページ式活字プリンターが作られた。特に1930年からのテレタイプ社製15型機はタイプバー式ページ印刷方式のもので、第二次大戦中に米軍が使用し、約20万台製造された[2]。15型と併用された1925年からの14型機は鑽孔テープに印字もするもので[3] 自動テープ送信のため使用され、両者が合体したものが1942年からのASR-19である(占領下GHQで最初に見られたのは1949年)[4]。その後1951年に信頼性の高い28型機 (ASR、KSR、RO) が出現し[5]、日本でも新聞社や放送局や商社で数台から十数台が24時間新聞電報を打ち出していた。
7単位ASCII符号を用いる1963年頃に出現したASR-33がテレタイプ社から出てからは、5単位ボー符号機は印字文字の種類の少なさから次第に使われなくなり、ASR-32とKSR-32が5単位符号機としては最後のものとされた[6]。ASR-33はプラスチックカバーで覆われるなど、金属カバーの重厚な5単位ボー符号28型機と比較して劣るとされたが、ASCII符号のページプリンターとしては以後標準的存在であった。