プリンス_(ミュージシャン)
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ところが4月21日の早朝、「ペイズリー・パーク・スタジオで誰かが亡くなったようだ」と米ゴシップ・サイトのTMZが第一報で報じ、その後、「発見された遺体がプリンスのものである」とAP通信など複数のメディアが報じた。CNNはその時「ペイズリー・パーク・スタジオ内で何が起こったか警察が現在調べている」と報じており[20][21]、発見時の状況について「スタジオ内のエレベーターの中で意識不明の状態」とされていた[22]が、6月2日にミネソタ州の検視当局により死因は鎮痛剤フェンタニルの過剰投与による中毒死である報告書が公表された[23]。ちなみに、当時米国大統領に就任していたドナルド・トランプは、フェンタニルやオキシコドンなどオピオイド系鎮痛剤の蔓延による経済損失やコカインなどの違法薬物乱用者を上回るオキシコドン乱用者数などを理由に公衆衛生上の非常事態宣言を行い、これを人類の悲劇であり国家の恥であると形容し法整備を行った。この法整備にはプリンスの死去や同じくオピオイド中毒であったタイガー・ウッズの逮捕が影響を与えた可能性が指摘されている。

同年6月、ミネソタ州知事のマーク・デイトンにより、6月7日を「プリンス・デー」とすることが発表される[24]
音楽性・他アーティストとの関係

プリンスはアフロアメリカンとして、音楽に革新をもたらし、ジェームス・ブラウン、ジョージ・クリントン、ジミ・ヘンドリックスやスライ・ストーンらと並び称された。プリンスは、スティーヴィー・ワンダーを憧れのアーティストの一人に挙げているが、エレキ・ギターに興味を持ったきっかけはアイク・ターナーであったという。また、ギタリストとしてはジミ・ヘンドリックスよりもジョニ・ミッチェルカルロス・サンタナの影響が大きいとインタビューで発言している。両親はジャズ・ミュージシャンであったため、幼い頃からジャズを聴き育ち、幼少時にジェームズ・ブラウンのバックバンドまで完璧にコントロールしたコンサートを観て「自分も同じようにやりたい」と思ったという。その他、カーティス・メイフィールド、Pファンク、ハードロックからも影響を受けた。後進のアーティストではコクトー・ツインズを好んで聴いていたとインタビューで度々語っている。

ギター、ベース、ドラム、ピアノとあらゆる楽器を弾けるマルチプレイヤーとして有名だが、サックストランペットのような管楽器は習得する事ができなかった。これらの管楽器の代わりにシンセサイザーを使用したことがミネアポリスサウンドの成立に繋がった。

また、プリンスは数多くの変名を持っている。Jamie Starrとして、ザ・タイムのデビュー・アルバムをプロデュース[注 4](メンバーの名前だけがクレジットされているが、実際にはプロデューサーのプリンスが作詞作曲演奏のすべてを行っている。)したり、Christopherとしてバングルスに全米2位のヒット曲となる「マニック・マンデー」ちなみにこの時の1位はプリンスの「KISS」)を提供した。他にもCamille(プリンスのアルバムに登場する)、Tora Tora(NPGでベーシストを担当した時に使用)等がある。

プロデューサーとして、ヴァニティ6(アポロニア6)やシーラ・Eジル・ジョーンズ、ザ・ファミリー等を手掛け、その非凡さを証明する。特にザ・ファミリーに提供した曲「ナッシング・コンペアーズ・トゥー・ユー (Nothing Compares 2 U)」は、シネイド・オコナー(シニード・オコーナー)がカヴァーし、欧米でヒットした。リーバイ・シーサーJr.と共演 (1993年)

シーナ・イーストンキャンディ・ダルファーカルメン・エレクトラなどの魅力ある女性ミュージシャンから、マイルス・デイヴィスジョージ・クリントンラリー・グラハムメイシオ・パーカーといったジャズやファンク・ミュージシャンと、多岐に亘ってセッションを行っている。


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