中世末から近世にかけて、中央集権の進んだ国においては、君主としてのプリンスは存在しなくなり、王族やそれに準じたものが名誉称号としてプリンスと呼ばれるようになった。
一方、近世のドイツでは逆に諸侯(フュルスト)の所領の領邦国家化が進み、貴族の中に領邦国家を治める領邦君主、領邦君主の男系子孫であるが現に統治する領邦を持たない元君主、それ以外の貴族で皇帝や諸侯に仕える宮廷貴族の間に厳然とした身分上の格差が生じた。
こうした過程で、公や辺境伯などの伝統的な大諸侯の称号を持たない諸侯は、諸侯の称号であるフュルスト自体を地位を示す称号とすることを望むようになった。このため神聖ローマ帝国においては、フュルストは公爵より下の爵位となり、さらに時代が下ると領邦君主ではない貴族に与えられる最高位の爵位としてフュルストの称号が用いられるようになった。
近代に神聖ローマ帝国が解体した際、多くの小規模な領邦国家が有力な領邦国家に併合、吸収されたことにより、非君主のフュルストが増加した。このため、近代のドイツでは「侯爵」と訳されるフュルストの中でも、領邦君主である侯爵、元君主の侯爵、宮廷貴族の侯爵の3種別があった。 イングランドやスコットランドでは、中世以来プリンスの称号を称する君主はあらわれず、ドイツ系王朝のハノーヴァー朝以降は王族男子がプリンスと呼ばれた。ただ、第一王位継承者(王太子)が称する「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号は、独立時代のウェールズにいた君主のプリンケプスに由来しており、やや起源と意味合いが異なる。 また、女王を制度として認めたイギリスでは、女王の配偶者が共同国王として戴冠していない場合、その人物のことをプリンス・コンソート(prince consort 、日本語訳は「王配」)といい、王家の成員としてプリンスと見なすようになった。 英語のプリンスは、皇族男子の親王および王の称号の英訳として用いられる。 第二次世界大戦以前には、華族の最高位である公爵をデューク(duke)ではなくプリンス(prince)と英訳することが常だった。このため親王や王には公爵との混同を避けるために皇族であることを示す HIH(His Imperial Highness、殿下)の敬称を添えた。例えば、「近衛公」は単に “Prince Konoe” であったが、皇族の「東久邇宮」は “HIH Prince Higashikuni” とした。 プリンスは片仮名語としても日本語によく定着しており、プリンスホテル(戦後に臣籍降下した元宮家の邸宅を買収してホテルとしたことから)、プリンス自動車(皇室に御料車を献上したことから)など企業名に用いられることもあった。この語は個人に対して使われることもある。特定の分野(主に芸術・スポーツなど、他人の目を惹きやすいもの)の中でその技能が優秀であることに加えて、若く、容姿や言動の面で特に魅力的な人物を「?界のプリンス」と呼んでもてはやすこともある。 典拠管理データベース: 国立図書館
イギリス
日本におけるプリンス北白川宮能久親王(1847年 - 1895年)
脚注^ この意味で日本では「公」などと訳されることが多く、「プリンス」が外来語として用いられることは少ない。
^ 「選帝侯(独: Kurfurst)」など。
^ この爵位としてのフュルストは、日本語においては「侯爵」の語に訳されることが多い。
関連項目
プリンケプス
プリンセス
デューク (称号)
皇太子
皇子
親王
諸侯王
王 (皇族)
王子
世子
大君
大公
公
公爵
公子
クニャージ
王配
インファンテ (称号)
フィス・ド・フランス
エルププリンツ
カタルーニャ君主国
スダン公国
プリンス・チャーミング
「プリンス」系の称号
プリンス・オブ・ウェールズ
アストゥリアス公
ビアナ公
ポルトガル公
ブラジル公
コンデ公
オラニエ公
ナポレオン公
⇒スペイン
フランス