プリンス・オブ・ウェールズ_(戦艦)
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^ 同級は、35.56 cm (14インチ) 砲を四連装砲塔2基(前部、後部に各一基)連装1基(前部に配置)計10門を装備する[3]
^ ウェールズはビスマルクに何発かの命中弾を与え、小破させた[10]。ビスマルクはウェールズとの交戦による損傷が原因で燃料不足になり、大西洋での通商破壊作戦を諦めてフランス西部のドイツ海軍基地に帰投することにした[11]
^ マレー沖海戰[19] 英の東洋艦隊早くも茲に潰滅す。/ 十二月十日 マレー東岸クワンタン沖に我が爆撃機、雷撃機隊は英が不沈戰艦と傲語するプリンス・オブ・ウエールズ及び戰艦レパルスを捕捉して挺身猛撃、海鷲獨特の必中彈を浴びせてこれを轟撃沈せしめた。/プリンス・オブ・ウエールズの長官艇の遺品/ 昭和十六年四月完成、三萬五千噸、最新鋭主力艦たるこのプリンス・オブ・ウエールズの艦上同年八月にチャーチル、ルーズヴエルト會談が行はれた。寫眞は艦上のチヤーチル(後甲板を散歩するチャーチル写真)/ レパルス(上)プリンス・オブ・ウエールズの最後―午後零時四十三分撮影。レパルスは命中彈で氣息奄々、午後二時二十九分轟沈。プリンス・オブ・ウエールズは艦中央から艦尾にかけ數發の命中彈をうけて、暫時遁走せるも、同二時五十分、英東洋艦隊司令長官サー・トーマス・フィリツプスを乗せたまゝ大爆發を起して沈没。
^ 戦艦プリンス・オブ・ウェールズ(東洋艦隊旗艦)、巡洋戦艦レパルス、駆逐艦4隻(エクスプレステネドス、エレクトラ、ヴァンパイア)。
^ 馬来部隊指揮官は、南遣艦隊司令長官小沢治三郎海軍中将であった[24]
^ プリンス・オブ・ウェールズと共に巡洋戦艦レパルス (HMS Repulse) も沈没した[29]
^ 12月10日16時5分、大本営海軍部発表[30]〔 帝国海軍は開戦劈頭より英東洋艦隊、特にその主力艦二隻の動静を注視しありたるところ 昨九日午後帝国海軍潜水艦は敵主力艦の出動を発見 午後帝国海軍航空部隊と緊密なる協力の下に捜索中、本十日午前十一時半マレー東部クワンタン沖に於て再び我が潜水艦これを確認せるをもって 帝国海軍航空部隊は機を逸せずこれに対し勇猛果敢なる攻撃を加へ 午後二時二十九分戦艦レパルスは瞬時にして轟沈し 同時に最新式戦艦プリンス・オブ・ウェールズは忽ち左に大傾斜暫時遁走せるも間もなく午後二時五十分大爆発を起し遂に沈没せり ここに開戦第三日にして早くも英国東洋艦隊主力は全滅するに至れり 〕
^ 八、マレー沖海戰[33] 開戰匆々ハワイ海戰においてアメリカ太平洋艦隊主力はわが海軍精鋭の敢行した大奇襲作戰によつて脆くも潰え去つたのであるが、マレー方面においてはわが上陸作戰を阻止すべくイギリスが世界にその最新鋭を誇る戰艦「プリンス・オブ・ウエールズ」と高速戰艦「レパルス」の出動となつたのである。この二戰艦がマレー半島沖を北上中なる旨の報告が哨戒中の潜水艦からもたらされたのは十二月九日の午後であつた。航空部隊は直ちに基地を出撃したが、その日は惡天候のためつひに敵艦隊を發見することが出來なかつた。十日午前三時四十分潜水艦から敵艦がシンガポールに遁走中なる旨の報があつた。かくてわが航空隊は暁方より索敵をつゞけたが、つひに午前十一時四十五分、北緯四度、東經百三度五十五分の點において敵主力が驅逐艦三隻を從へて航行中を發見、午前零時四十五分爆撃機隊の猛撃は開始された。かくてイギリスが「不沈戰艦」として誇るプリンス・オブ・ウエールズ及びレパルスの二艦と大型驅逐艦一をマレー沖の藻屑と化せしめ、イギリス東洋艦隊の主力を潰滅せしめたのである。さきのハワイ海戰の戰果とともにこの戰果は世界戰史上その例を見ないものである。/プリンス・オブ・ウエールズ號(東洋艦隊司令長官トーマス・フイリツプス坐乗、艦長J・C・リー大佐)要目=一九四一竣工、排水量三万五千トン、速力三十ノツト、主砲十四インチ砲十門、高角機銃二十五聯装三基、二十聯装一基、八聯装空ポムポム砲四基、搭載機四機/レパルス號(艦長J・G・テナント大佐)要目=一九一六年竣工(一九三六年改装)排水量三万二千トン、速力二十九ノツト、主砲十五インチ砲六門、副砲四インチ砲十二門、高角砲四インチ砲八門、二十一インチ魚雷發射管八基、搭載機四機。
^ トーヴィー大将自身は、旗艦キング・ジョージ5世、空母ヴィクトリアス、巡洋戦艦レパルスを率いることになっていた[50][51]。トーヴィー戦隊は5月22日夜に出撃した[52]
^ 駆逐艦6隻の内訳は、エレクトラ、アンソニー、エコー、イカルスアキティーズアンテロープであった[34]
^ リュッチェンス部隊に触接したのは[54]、第一巡洋艦戦隊(司令官フレデリック・ウェイク・ウォーカー(英語版)少将)の重巡洋艦ノーフォーク(旗艦)とサフォークであった[55][56]。またフッドとウェールズに随伴していた駆逐艦部隊のうち、燃料不足で駆逐艦2隻が離脱し、残りは荒天候下でも高速を発揮できる戦艦2隻についてゆけなくなった[57]
^ ノーフォークにはウォーカー少将が座乗していたが、ホランド中将(フッド)の方が先任であるため、デンマーク海峡海戦では精彩を欠いた[65]。ホランド中将はウォーカー少将の重巡2隻でプリンツ・オイゲンを片付けるつもりだったが、無線封止をしていたので意図が伝わらなかった[66]。あるいは砲戦中のため、命令を出す時機を逸した[63]
^ ウェールズのリーチ艦長は、後日の調査会でフッド轟沈時のスケッチを提出している[70]
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