プラド美術館
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その後、20世紀を通じビリャヌエバ館はいくたびか拡張され、増え続ける収蔵品と、その観覧を希望する民衆の声に応じようと新たな展示空間を設けた[7]

その東側には、2007年にホセ・ラファエル・モネオ設計による新館「ヘロニモス館」が増築され[8]、主にカフェテリア、ショップなどのサービス施設のほか、企画展示に使用されている。

ビリャヌエバ館は@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}2階・1階・0階・?1階の4フロア、ヘロニモス館は2階・1階・0階で構成され、両館は0階で連絡している[疑問点ノート]。現在[いつ?]、さらに近隣の「サロン・デ・レイノス」 (Salon de Reinos) の建物を新たな別館とする拡張計画が進行中である。.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}フランシスコ・デ・ゴヤ裸のマハ』カンバスに油彩(1797?1800年頃)着衣のマハ』カンバスに油彩(1797?1800年頃)

王家のコレクション(英語)中心だった収蔵品に、ゴヤのマハ像2点などが加わった。他のGLAM施設の資料も継承し、もとの収蔵機関はいずれも閉館したトリニダード美術館(1872年Museo de la Trinidad)と近代美術館(1971年Museo de Arte Moderno)であった。当館の19世紀絵画コレクションの中核は、後者から受け継いだ作品類である。芸術家はたとえばスペインのマドロサ家より画家で彫刻家のホセ・デ・マドラソ・イ・アグード(英語)(父)と息子で画家のフェデリコ(英語)(1815年?1894年)。ヴィセンテ・ロペス(英語)(通称イ・ポルターニャ)、カルロス・デ・アエスエドゥアルド・ロサレスとホアキン・ソローリャ(英語)などである[要出典]。フランドル派を連想させる作者不明の宗教画(1450年頃)の通称〈生命の源〉[注釈 1]も該当し、聖ドミンゴ、聖ペドロ・マルティルの肖像が描いてある[注釈 2]。あるいはエル・グレコの筆とされるキャンバス画5点(英語)[注釈 3]

度重なる増改築の端緒は1918年の増床であった。

創建以来、さまざまないきさつを経て加わった絵画は2300点に上るといい、その他の工芸的な資料もある。「新収蔵品」の大部分を占める版画や素描その他の美術作品は、受贈あるいは受託したり、購入した作品である。遺贈を受けたコレクションは質も豊かになり、収集家P・M・デュラン(Pedro Fernandez Duran)から素描や装飾美術品・工芸品など収蔵品全点を贈られた中に、特筆するべき作品『デュランの聖母』(15世紀、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン作)がある。勲章・メダル類(Pablo Bosch y Barrau旧蔵品)、19世紀絵画史をまとめたラモン・デ・エラス(Ramon de Errazu)の一連の遺贈品もある。フレデリック・エミール・エルランジェ旧蔵のゴヤ作「黒い絵」(1881年)は特に貴重である。2010年代に購入した特筆に値する作品群は、画家別にエル・グレコ作『寓話』(1993年)と『エジプトへの逃避』(2001年)、ゴヤ作『チンチョン伯爵夫人マリア・テレサ像』(英語)(2000年)、ベラスケス作『フェルディナンド・ブランダーニの肖像』(英語)(2003年)、またブリューゲル作『聖マルティンのワイン祭り』(2010年)、フラアンジェリコ作『ザクロの聖母』(2016年)などがある。[要出典]入館口の一つを見下ろすディエゴ・ベラスケス像(英語)。アニセト・マリーナス作(Aniceto Marinas、1899年、ブロンズ])

当館は市内の建物群について、1873年から1900年にかけて市役所、新設された大学、教会堂などのデザインや設計の補助事業をしている。スペインのen|第2帝政時代(英語)(1931年から1936年)に地域の美術館・博物館の充実が図られ、当館職員はスペイン内戦中に国際連盟の勧告に従うと絵画353点、素描168点を館外に運んだ。このとき、通称〈大王太子の財宝〉(El Tesoro del Delfin(スペイン語)[注釈 4])もバレンシアへ運ばれ、ジローナ経由でジュネーブスイス)に落ち着く。第二次世界大戦の勃発を受けると、夜行列車で密かにフランス国境をわたって返却された。フランコ独裁のごく初期に、大使館宛に寄託された作品も多い[9]。1993年当時の館長フェリペ・ガリン(Felipe Garin)は当館の拡張計画を発表すると、非難の声にさらされてすぐに取り下げた[10]。その後、1990年代後半に 1400万アメリカドル相当の屋上の改修工事にあたり、ベラスケスの『ラスメニーニャス』は2回、展示場所を移動している[11]。別館のカソン・デル・ブエン・レティロ(Cason del Buen Retiro)は1998年から2年がかりの全面改修工事に入り、地下に3層を増築するなど総額1000万ドル相当を費やした。2007年を迎え、年間の来館者数が1800万人から2500万人に伸びることを期待し、ついにラファエル・モネオ設計案を実行して主展示室を1万6000平方メートルに増床する。新館 (ヘロニモス館) のカフェテリア(ラファエル・モネオ設計)

くさび形のフォイヤーはガラス天井のもとにギフトショップやカフェテリアが入り、それら施設が退去した本館は展示スペースが広がった[11]。16世紀の建築物「ヘロニモの回廊」は石材を1点ずつ取り除いて解体、周辺の建物群の基礎構造の補強工事が終わると、当館の新しい別棟として再建にかかり、工事中は壁が崩れないように水圧ジャッキで支えた[12]。本館から地下空間を伸ばし、解体修理した別の建物とつないだ。

2016年11月、イギリスの建築家ノーマン・フォスターとカルロス・ルビオ・カルバハルが手をたずさえてサロン・デ・レイノス(英語)の改修にあたると発表された。この合同事業では、ブエン・レティロ宮殿から移築したという由緒のある建物に3200万ドル相当の予算をあて、本館の別棟に位置付ける。公開設計コンペにかけ最終審査に残った8社[注釈 5]を比べ、フォスター&ルビオ社が採用された[13]。審査の初回の段階47候補の段階から選抜され、最終段階に残った国際チームである[14]

建物の買収は2015年に成立、2005年まで武器庫であった。この改修が終わると、床面積はおよそ61,500平方フィート (5,710 m2) 広がり、そのうちの27,000平方フィートを展示スペースにあてる計画であった[14]。ところがスペイン政府からなかなか増床計画の認可が降りず待機が続き、2021年には改修予算3600万ユーロがついた[15]
コレクションカテゴリ:プラド美術館の所蔵品も参照

プラド美術館はおよそ8000点超の油彩画彫刻約1000点、版画約4800件、素描約8200件、さらに美術史に関する多くの書類を収めている。絵画作品は2021年時点で展示中約1400点[16]、他の美術館や研究所へ貸与中3100点前後とされた。その他の作品は保管庫にある[20]

当美術館の名が世界に知られる要素とは、何と言ってもルネサンスバロック絵画を中核とした膨大なヨーロッパ絵画の収集機関としてである。歴代スペイン王の趣味やスペイン史を如実に反映した点が特徴であり、西洋美術史の展示は系統的あるいはバランスが取れていると言うよりも、一方で収蔵品には時代、国、画家の偏りがある。他方、並べて語られる欧米の美術館であまり見ることのない画家は数多く、その作品を集中的に収蔵している点が当美術館の独自の魅力となっている。
スペイン絵画エル・グレコ胸に手を置く騎士』(1580年頃)ホセ・デ・リベーラ聖フィリポの殉教』(1639年)ディエゴ・ベラスケスラス・メニーナス』(1656年)フランシスコ・デ・ゴヤマドリード、1808年5月3日』(1814年)


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