プラシド・ドミンゴ
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同年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場にチレア作曲「アドリアーナ・ルクヴルール」マウリツィオ役でのデビューが決定、リハーサルを行っていたドミンゴだったが、同役を演じていたスター歌手フランコ・コレッリが突然出演をキャンセルしたため、劇場は代役をドミンゴに依頼、劇場に急遽駆けつけてマウリツィオを演じたドミンゴは、思いがけず数日早まったメトロポリタン・デビューを成功させる。

また、1969年にはエルナーニ(ヴェルディ作曲同名作)でスカラ座1971年にはカヴァラドッシ(プッチーニ作曲「トスカ」)を歌ってロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスにデビューし、世界的な名声を確立した。
多彩な活躍

1981年には、アメリカ合衆国のフォーク/ポップ歌手のジョン・デンバーデュエットで歌った『パーハップス・ラヴ』を録音したことで、オペラ界以外からも広く知られる歌手となった。1989年5月21日には、松田聖子とのデュエットでアルバム「ゴヤ…歌でつづる生涯」が発売された。親日家としても知られたびたび来日している。

また、前述の2人とともに三大テノールとして、1990年FIFAワールドカップイタリア大会を皮切りに、1994年のアメリカ大会、1998年フランス大会、2002年の日韓大会まで3人合同での演奏会を開いた。

1992年に地元のスペインで開催されたバルセロナオリンピックでは開会式と閉会式に出演し、大観衆の前で美声を披露、特に閉会式で歌ったオリンピック賛歌は、「史上最高のオリンピック賛歌」「オリンピック賛歌を歌わせるのならドミンゴが一番」との高い評価を受けた。また、1994年リレハンメル冬季オリンピックでやはり同歌の独唱を披露したシセル・シルシェブーの才能にも目を止め、オリンピック賛歌ソリスト同士のデュエットを実現させたことも話題となった。さらに、2008年北京オリンピックの閉会式にも出演した。

なお、プロはだしといわれるピアノの演奏を披瀝する機会は多くないが、1983年にクリストフ・エッシェンバッハが指揮をかねてモーツァルトのピアノ協奏曲をEMIに連続録音した際、「3台のピアノのための協奏曲」の第3ピアノ(第2ピアノはユストゥス・フランツ)に指名されたことがある。これは、ドミンゴの映画撮影が延びた関係で実現しなかったが、代役で急遽ロンドン入りし妙技を披露したのは、何と西ドイツ前首相のヘルムート・シュミットであった。
現在

2000年には「ケネディ・センター賞」を受賞、また、イギリス政府からも大英帝国勲章を授与されている。その後も他のジャンルの歌手との共演を積極的に行い、2002年にはロックバンドサンタナのアルバム「シャーマン」にゲスト参加し、1曲を歌った。

2004年暮れから2005年にかけて、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のトリスタン役に初挑戦。EMIにレコーディングされたが、この録音がEMIによる最後のオペラ録音(以後のオペラソフトのリリースが視覚的要素のあるDVDに移行するため)となった。また、2005年に録音した「エドガール」で、プッチーニの歌劇全作品を録音する記録を樹立した。

2010年2月13日東京での公演中に腹痛を訴え、活動休止を余儀なくされた。3月にニューヨークにて大腸癌の手術を受け療養し、4月16日よりミラノで予定されているスカラ座公演から復帰する。

2011年3月に発生した福島第一原子力発電所事故の影響で日本国外の演奏家が次々と日本公演をキャンセルする中、4月10、13日に東京で予定されていた公演は変更せずに実施した。アンコールに際しては日本語で唱歌「故郷」を歌った。

大のF1ファンとしても知られ、2012年ハンガリーグランプリおよび2016年スペイングランプリでは表彰台ドライバーインタビュアーを務め、2013年日本グランプリでは表彰式のプレゼンターを務めた。

2020年3月22日、新型コロナウィルスの検査で陽性反応が出たため、家族とともに外部との接触を断っていることを明らかにした[1]。発熱や咳症状はあるものの体調は良いとし、Facebook上で手洗いの励行など感染予防の対策を取るようファンに呼び掛けている。[2]
セクハラ疑惑

2019年8月13日、AP通信は、長年セクハラや不適切な行為を受けていたと告発する女性歌手ら9人の証言を報じた[3][4]。ロサンジェルス歌劇場が調査に乗り出し[5][6]、9月にも11人の女性が被害を申し立てている。ダラス歌劇場とサンフランシスコ歌劇場は予定されていた公演をキャンセル[7]、フィラデルフィア管弦楽団は出演依頼の取り下げとなった。芸術監督を務めていたメトロポリタン歌劇場はロサンジェルス歌劇場の調査結果を待って最終決定を下す方針であったが、9月25日の『マクベス』と11月の『マダム・バタフライ』については降板となることを発表し、「ドミンゴ氏は今後METで開催される公演に出演しないことで合意しました。METとドミンゴ氏は同氏が降板する必要があるという点で同意しています」とコメントしている[8][9]

2020年2月25日にドミンゴは「(女性たちに)生じさせた苦しみを本当に申し訳なく思っていることを知ってもらいたい。私の行為に関する全責任を負う」と被害者への謝罪を表明した。オペラ歌手らで作られる米労組の弁護士は2019年9月から12月末まで55人に聞き取り調査を行っており、1990年代と2000年代にドミンゴによるセクハラを経験もしくは目撃した27人に加えて、12人がドミンゴの評判を知っていたことが分かった。2人の女性は自らのキャリアに悪影響が及ばぬよう、性的行為を強いられて従うほかなかったと話しているという[10][11]。ドミンゴの謝罪表明の翌日、スペイン政府はマドリードでの2つの公演をキャンセルし、スペイン文化庁は5月にサルスエラ国立劇場で予定されていたフェデリコ・モレーノ・トローバの『ルイサ・フェルナンダ』については降板とすることを発表した[12]
歌手としての評価

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2018年12月)

オペラ界においては、陰翳をたたえた美声、充実した中音域、卓越した演技力、すぐれた歌唱技術によって、世界各国において幅広い人気と高い評価を得ている。特筆すべき多様性をもつ歌手であり、ヴェルディプッチーニなどのイタリア・オペラ、フランス・オペラ(『ファウスト』、『サムソンとデリラ』など)、ワーグナーなどのドイツ・オペラと広汎な演目をレパートリーとしている。なお、3大テノールでドイツオペラに積極的なのは彼一人だけである。

ドミンゴは、若くしてバリトンとしてキャリアをスタートした後、テノーレ・リリコ(叙情的な声質のテノール)に転向したが、元来はより重いリリコ・スピントの声質だった。その陰翳を帯びた声質と自在な表現力を生かして、30代で数あるテノールの役の中でも特に重厚な歌唱を要するオテロ(ヴェルディ作曲『オテロ』)もレパートリーに加えた。ドミンゴのオテロは彼の世代の第一人者と見なされている。


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