プラウダ
[Wikipedia|▼Menu]
書類をウィーンからサンクトペテルブルクに移すと同時に1912年5月5日(ユリウス暦1912年4月22日)にレーニン主導により4ページで5コペイカの創刊号が発表された[3]。このとき初めてプラウダが法的にも政治新聞として発行された。社会民主労働党の中央委員会、労働者や個人などと共にマクシム・ゴーリキーは新聞に資金援助をした。これには経済問題、労働運動、ストライキに関する記事があり、プロレタリアートの詩が2作載っていた。サンクトペテルブルク・プラウダの最初の編集者であるマクシム・イェゴーロフとドゥーマの議員であるニコライ・ポレターエフ(ロシア語版)が版元として務めた[4]
2月革命1917年3月16日:ポーランドの独立宣言を報じるプラウダ。

1917年の2月革命によるニコライ2世の退位によって、プラウダは発行を再開した。新しく生まれ変わったプラウダの最初の編集者であるヴャチェスラフ・モロトフとアレクサンドル・シュリャープニコフ(英語版)は、自由主義的なロシア臨時政府に反対した。3月12日にシベリアへの流刑から戻って来たレフ・カーメネフヨシフ・スターリンに加え、マトヴェイ・ムラノフ(英語版)らは3月15日に編集委員会を引き継いだ[5]

1917年3月15日、戦争への努力を支持する記事を載せた。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}軍隊と軍隊とが対峙しているときに、武器をしまって家路につくよう一方に提案するのは、最もばかげた政策であろう。これは平和政策などではなく、自由人民たちを苛立たせ拒絶させる、奴隷政策だ。When army faces army, it would be the most insane policy to suggest to one of those armies to lay down its arms and go home. This would not be a policy of peace, but a policy of slavery, which would be rejected with disgust by a free people.[6]

4月3日に、ロシア帝国に帰国したレーニンとグリゴリー・ジノヴィエフ4月テーゼで、臨時政府との統一的な傾向を強く非難した。カーメネフはプラウダの社説でレーニンの立場に反対したが、レーニンは再度プラウダで「反革命」として臨時政府を非難することによって4月党大会では好評を得ることに成功した。それ以降プラウダは基本的にレーニンの編集姿勢を追い、十月革命後の1917年には毎日ほぼ10万枚を販売していた。
ソ連時代

ソビエト政権が首都をモスクワに遷都した時に事務所も1918年3月3日にモスクワに移し、プラウダはソビエト連邦共産党の公式出版物、または「党の機関紙」となった。プラウダは公式の政策や方針の変更を発表するための国民へのパイプとなり、1991年までそれを続けた。1989年までは国営企業、軍隊、その他の組織はプラウダの購読が必須だった[7]

他にも新聞はあったが、すべて他の国家機関の機関紙として存在していた。例えば外交関係を報じていたイズベスチヤソビエト連邦最高会議の機関紙であり、またトルード(英語版)は労働組合運動の機関紙であり、ベドノター(英語版)は赤軍と農民に配布されていた。他の様々な派生誌は全国紙として部数を増やすために名前に「プラウダ」を付けたものも発行されていた(コムソモールの機関紙はコムソモリスカヤ・プラウダピオネールの機関紙はピオネールスカヤ・プラウダ(英語版))、さらにソ連内の幾多の共和国と州では共産党の地域新聞が発行された、例えばカザフスタンではカザフスタンスカヤ・プラウダ(英語版)、ムルマンスク州ではポリャルナヤ・プラウダ(ロシア語版)、アルハンゲリスク州ではプラウダ・セヴェラ(英語版)、そしてモスクワ市ではモスコフスカヤ・プラウダ(英語版)などがあった。1941年11月: モスクワでプラウダを読む兵士。写真アナトーリー・ガラーニン(ロシア語版)ドイツがプロパガンダ用に作った偽プラウダ。ドイツ占領地域ではコルホーズが廃止されたと伝えている。

10月革命後まもなく、ニコライ・ブハーリンはプラウダの編集者となった[8]。 この人事は1917年4月にロシアへの帰国が決まったブハーリンに先立ち、移住と亡命が終わる最後の数ヶ月の間に決まっていた[9]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:30 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef