70年代中期のローリング・ストーンズを模倣したような内容の『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ』は、1994年3月に発売された[32]。復帰したバレットの尽力もあって発売前に批判的なレビューは一切出ず、「ロックス」というヒットシングルも生まれた[38]。しかしアルバムには発売後から「オーバープロデュース」、「期待はずれ」などの不満があちこちから噴出し[39]、ギレスピーも「ほんの数曲以外は全部駄曲」と述べ、失敗作であることを暗に認めた[32]。プロデューサーのダウドは酷くギレスピーを落ち込ませてしまったらしく、彼はこの後の3年間レコーディングされたどの曲も歌おうとしなかった[36]。なおこのアルバムからクリエイションはソニー・ミュージックの傘下に入った。 1996年秋、イネスの提案から6ヶ月の休暇を挟んだバンドには、解散したザ・ストーン・ローゼズからベーシストのゲイリー・モンフィールドが加入した[24]。「マニ」のニックネームを持つこの男は、シングルにもなった「コワルスキー」、そして「モーターヘッド」のカバーの2曲でベースを弾き、バンドに再び勢いを取り戻した。マッギーは「ここでバンドとしての在り方と自らの音楽を見直した」としている[40]。この頃からソングクレジットにはマニとダフィの名も加えられた。 「コワルスキー」を先行シングルに、『バニシング・ポイント』は1997年の6月に発売された。アルバムはダブの影響が色濃い作風となった。クリエイションと深い関係を持つライターの伊藤英嗣は「ダブからロックンロールまで多彩な要素が自然に消化されたアルバム」と評した[21]。プロデューサーはブレンダン・リンチ
バニシング・ポイント
1998年にカットされたシングル「イフ・ゼイ・ムーヴ・キル・エム」にはマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのケヴィン・シールズによるリミックスが収録された。このシングルには更にジーザス&メリー・チェインの「ダークランズ」のカバー「バッドランズ」が収録されている[43]。メリーチェインはこの年クリエイションに復帰した。 1999年までにギレスピーとマッギーは和解した[44]。マッギーは同年の11月にクリエイションの閉鎖を宣言し、2000年1月に発売された『XTRMNTR(エクスターミネーター)』はクリエイション・レコーズ最後のアルバムとなった[45]。ケヴィン・シールズ、ケミカル・ブラザーズ、ニュー・オーダーのバーナード・サムナー等が参加したこのアルバムは、今までにない政治的姿勢を打ち出した攻撃的な歌詞が並んだ[24]。パブリック・イメージ・リミテッドの名が引き合いに出されることも多かったこのアルバムは、売り上げはさほど伸びかったものの、多数のメディアから好意的なレビューを贈られた[24][46]。久方ぶりに制作に深く関与したマッギーは「間違いなくこの年のベストアルバムに入る」と絶賛した[47]。「10年後に振り返ったとき、皆プライマル・スクリームはいいバンドだったと口にする[47]」とも。
XTRMNTR、イーヴル・ヒート