プライマル・スクリーム
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エドワード・ボール[† 5]は「プライマル・スクリームはクリエイションという王冠における宝石のような存在」とした[53]。マッギー、ボールはそれぞれ『スクリーマデリカ』と『XTRMNTR』をクリエイションのベストアルバムの1枚に選んだ[54]

ボビー・ギレスピーの書く歌詞は『XTRMNTR』のツアー中から更に過激になった。ツアー中に披露された新曲は「ボム・ザ・ペンタゴン」、「ドレスデン」といったもので、反米姿勢を前面に打ち出していた[55]。彼らはソニー傘下のコロムビア・レコードへ移籍し、2002年初頭に発売するアルバムの制作を進めていた。

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受けてアルバム制作は頓挫した。現実のものとなってしまった「ボム・ザ・ペンタゴン」は「ライズ」へ、政治的な歌詞が目立った「ドレスデン」は「デトロイト」へ曲名が変更された。当初4月に発売がアナウンスされたアルバムの発売は結局8月まで延期された(日本盤は7月31日)。同年のMTVヨーロッパ・ミュージック・アワードのビデオ部門にノミネートされた「ミス・ルシファー」を先行シングルに『イーヴル・ヒート』は2002年8月5日に発売された。前作の路線を継承しつつ「パンクっぽさは減った[24]」(マニ)このアルバムには、久方ぶりの参加となるアンドリュー・ウェザオール率いるトゥー・ローンズ・スウォーズメン、ケヴィン・シールズ等がプロデュースを務め、ジーザス&メリーチェインのジム・リード、ロバート・プラント、ケイト・モスがゲスト参加した[56]
ライオット・シティ・ブルース、ビューティフル・フューチャーボビー・ギレスピー(2009年)

2006年6月に発売された『ライオット・シティ・ブルース』は、近作のエレクトロニクス路線から大きく転換したストレートなロックンロール・アルバムになった[57]。元キリング・ジョークのユースをプロデューサーに迎えたアルバムは、原曲を書くのに4、5ヶ月、リハーサルに2、3ヶ月、レコーディングに2ヶ月弱という短期間で完成に至った[57]。ギレスピーは「基本的なパートは4、5日で15曲録り終えた」と話した。作中「ウェン・ザ・ボム・ドロップス」では、エコー&ザ・バニーメンのウィル・サージェントが個性的なギターを披露している[57]。先行シングル「カントリー・ガール」は2005年のフジ・ロック・フェスティバルで初披露され[57]、チャート5位を記録するヒットシングルとなった。アルバム発売前、ヤングは健康上の問題からバンドを離れ、リトル・バーリーのバーリー・カドガンが代役に納まった。

2008年7月、Bユニークへのレーベル移籍後第1弾となるアルバム『ビューティフル・フューチャー』を発表。同年のフジロック・フェスティバルでは忌野清志郎が癌の再発の為に急遽出演をキャンセルしたため、出演が予定されていた2日目に続き3日目にはヘッドライナーとして代役を務めた[58]

2011年は『スクリーマデリカ』のオリジナル盤発売から20周年となり、リマスター音源やボックスセットが発売された[59]。一連のリリースに伴い、2010年末から2011年初頭にかけ、イギリス、オセアニアを回る記念ツアーが開催された[60]。同年、マニがザ・ストーン・ローゼズ再結成のため脱退したのに伴い、デビー・グッギ(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)がサポート・ベーシストを務めた後、2012年に無名の新人シモーヌ・バトラーが加入した[61]
モア・ライト

2013年、イグニッション・レコードから5年ぶりのスタジオ・アルバム『モア・ライト』がリリースされた。同アルバムではジェイソン・フォークナー(元ジェリーフィッシュ)が大部分の曲でベースを弾いた[62]
カオスモシス

2016年、3年ぶりとなるスタジオ・アルバム『カオスモシス』がリリースされた。前作に続き、ジェイソン・フォークナーが参加している他、ハイムスカイ・フェレイラなどがゲスト参加している。[63]
ディスコグラフィー詳細は「プライマル・スクリームの作品」を参照

ソニック・フラワー・グルーヴ - Sonic Flower Groove (1987年)

プライマル・スクリーム - Primal Scream (1989年)

スクリーマデリカ - Screamadelica (1991年)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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