プシュケー
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例えば、パウロ書簡でもそうで、(ロシア語聖書ではプシュケーはドゥシャ、プネウマはドゥーフ、という語に訳し分けられている)、プネウマ(ドゥーフ)はパウロ書簡では、心・魂ではなく、それらを超えたところから外的に働く力、としてしるされている[9]救済古代ギリシアグノーシス主義では「神的プシュケーの罪ある肉体(ソーマ)の牢獄(セーマ)からの解放」であったが、新約聖書ではあくまで体の復活としてとらえられている[7]
ルター

ルターは、ギリシア語のプシュケーをつねに「いのち」と訳していたという[10]
脚注
注釈^ なお、息という意味から《生きること》や《いのち》までも派生するようになったのは何も古代ギリシャ語に限らない。日本語でも、「いき(息)」という言葉が活用(語形変化)して「いき-る(生きる)」という言葉が成立したのである[2][3]。また「いのち」という言葉の語源に関する説は(説がひとつに定まっているわけではなく確定的な説は無いものの)「い(息)のうち」という意味・表現から生じたという説[4]、あるいは「息のち(力)」から生じた、とする説[5]が主たるもので、いずれにせよ日本語でも一般的に「いのち」は「息」から派生した言葉だと判断されているのである。

出典^ a b 『ブリタニカ国際大百科事典』第11巻、【生物学】p.220
^ 『日本語語源大辞典』2005
^ 『大言海』1932年
^ 大言海、日本語源辞典
^ 語源由来辞典
^ 通約不可能性も参照のこと
^ a b c d e f g 山我哲雄「【プシュケー】」『哲学 ・ 思想 事典』岩波書店、1998年。4-00-080089-2。 
^ 『ブリタニカ国際大百科事典』第11巻、【生物学】p.221
^ 文學界 第 7?8 号 p.150
^ 菱刈晃夫『近代教育思想の源流:スピリチュアリティと教育』p.123

参考文献

『哲学 ・ 思想 事典』1998年 【プシューケー】

『日本語語源大辞典』2005

『ブリタニカ国際大百科事典』第11巻

関連文献

西岡孝治「プシュケーと
ソーマ --プラトン対話篇に於ける」『思索』 (5), 東北大学哲学研究会、155-172, 1972-10

清水哲郎パウロの言語哲学』2001

荻野博和「オリゲネスにおける聖書解釈の原理としてのプシュケー」トマス大学大学院論叢, 聖トマス大学大学院論叢 (11), 1-55, 2009-12, 聖トマス大学大学院人文科学研究科

北村普「サルトルとプシュケーの問題」『哲学世界』早大文研哲学専攻刊 1988年

関連項目

意識

アニマ - 古代ギリシア語のプシュケーを中世ヨーロッパでラテン語にする際に用いられた語

ナフス(英語版) - イスラム教で魂、自我を意味する語


典拠管理データベース: 国立図書館

ドイツ


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