アメリカでは、M2の後継として1950年代後半に車両搭載用途を更新するものとしてM85機関銃が開発されたが、問題が多く、M2の後継とはならないままに終わった。1990年代後半より再び後継用機関銃の開発が進められ、XM312・XM806といった新型機関銃の開発が進んでいたが、2012年に開発が中止された。
結果、設計されて90年以上も経つが、費用を考慮しての基本構造・性能トータル面でこの重機関銃を凌駕するものは、現在においても現れていない。FNハースタル社が代表的な改良型として、銃身交換を容易にしたFN M2HB-QCB (M2 Heavy Barrel-Quick Change Barrel) を開発し、先進諸国を中心に現有M2重機関銃のQCB改修、生産の切り替えが進んでいる。 第一次世界大戦への参戦の結果、装甲戦闘車両(戦車)や金属製外皮を持つ全金属製航空機の登場を鑑みて、より大威力の機関銃が必要だと考えたアメリカ外征軍総司令官ジョン・パーシング将軍は、当時のアメリカ軍の標準弾薬であった.30-06スプリングフィールド弾(.30口径7.62mm)を上回る口径・威力の弾薬とそれを用いる火器の開発を要求した[2]。パーシングからの要求の他にも、前線からは砲兵戦闘において大きな脅威となる敵の砲兵用観測気球を射撃できる歩兵部隊用の高精度かつ長射程・大威力の火器が求められていたこともあり、これらの要求を包括できる銃と新弾薬の実用化が急がれた。 この要求に対し、観測気球を射撃することを目的に進められていた弾薬の研究から、まずはフランスおよびイギリスで対気球攻撃に用いられていた11×59mmR Gras弾
開発
大戦後の1921年になり改めて制式化されたブローニング・ウィンチェスター.50口径重機関銃には「M1921」の制式名が与えられ、アメリカ軍への導入が進められた。戦間期の軍縮による予算の縮小により当初の予定ほどには装備されなかったものの、その威力と射程は様々な標的に対し大いに有効であった。しかし、M1921には連続射撃を繰り返すと水冷式にもかかわらず銃口部が加熱して暴発が多発するという問題点があり[5]、改良型の「M1921A1」が開発されたものの、なおも“給弾方向が一方に限られる(機関部左側からのみ可能)”ことによる運用上の不満点が多く挙げられた。また、M1921の装備を希望する部隊・部署によって重視する点が異なっているため[注釈 2]それらに対処するためには派生型を多数開発せねばならず、戦間期の限られた予算規模ではいずれにも十分な数が揃えられない、という問題もあった。
上述の問題に対処するため、陸軍省兵器部長室産業部門小火器部門技術課主任(chief of the Engineering Section, Small Arms Branch, Industrial Division of the Office of the Chief of Ordnance, Department of the Army)であるグリーン博士(Dr. S. G. Green)により、1933年にはM1921A1のさらなる改良型が開発された。この新しい.50口径機関銃はM1921の構造を基本的に踏襲しつつ、共通の機関部を基礎として給弾方向と銃身および撃発装置を用途に合わせて容易に変更できるようにしたもので、これがCal.50 M2である[注釈 3]。
M2では肉厚の銃身とすることで銃身の過熱に対する耐久性を向上させた空冷型も開発され、「M2 HB」(Heavy Barrel:重量型銃身の意)の制式名が与えられた。1938年の本格調達開始以後、水冷型に替わって地上部隊向けの標準的なモデルとなり、HB型は単に"M2"と呼ばれるようになり、"Cal.50 M2"といえばこのモデルを指すようになっている。
M2よりの直接の派生型としてではないが航空機搭載型も開発され、「Cal.50 AN/M2」の制式名が与えられてアメリカ軍の主力航空機関銃となった。