ネオ・ノワールを基調とした暗く退廃的な近未来のビジュアルは、公開当初こそ人気を得なかったものの、後発のSF作品に大きな影響を与え、所謂「サイバーパンク」の代表作の一つと見なされている[3]。シド・ミードの美術デザイン、ダグラス・トランブルのVFX、メビウスの衣装デザイン、ヴァンゲリスのシンセサイザーを効果的に使用した音楽も独自の世界観の確立に貢献した[4]。
リドリー・スコットが「彼女は完璧だった」と評したレイチェル役のショーン・ヤング[5]、そしてプリス役のダリル・ハンナも本作をきっかけに注目されるようになった[6]。
作中の風景に日本語が多く描かれている理由は、スコットが来日した際に訪れた新宿歌舞伎町の様子をヒントにしたとされている[7]。このことが日本人観客の興味をひくことになり、これらのシーンへのオマージュ・議論が生まれることになった。また、スコットは都市の外観は香港をモデルにしていることを述べている[8]。なお、香港のショウ・ブラザーズが制作費の大半を出資したために本作は事実上アメリカ・香港合作であり[9][10][11]、ショウ・ブラザーズの創設者である邵逸夫は本作で製作総指揮にクレジットされている。
1993年にアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録された。2007年、視覚効果協会が発表した「視覚効果面で最も影響力がある50本の映画」で第2位にランクインした[12]。2014年、イギリスの情報誌『タイム・アウト
(英語版)』ロンドン版にてアルフォンソ・キュアロン、ジョン・カーペンター、ギレルモ・デル・トロ、エドガー・ライトら映画監督、作家のスティーヴン・キング、ほか科学者や評論家150名が選定した「SF映画ベスト100」にて、第2位にランクインした[13]。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』とは設定や登場人物、物語の展開、結末などが翻案により大きく異なっており、原作というよりは原案に近い扱いである。
1968年の原作発表後から程なくして、いくつかの映画化交渉が持ち上がったが、いずれも不成立に終わっていた。1975年、ハンプトン・ファンチャーは作者のフィリップ・K・ディックとの交渉を行ったものの成立せず、友人のブライアン・ケリーが交渉にあたり[14]、1977年に承諾を取り付けた。ディック自身は制作会社に映画化権を売った後は関与していないが、ファンチャーが書き上げた草稿に彼は良い返事を出さず、何度も改稿が行われた。撮影開始後も映画の出来を不安視し、ノベライズ版の執筆も断っていたが、2019年のロサンゼルスを描いたVFXシーンのラッシュ
試写を観て「まさに私が想像したとおりものだ!」と喜んだという[注釈 3]。監督のスコットは、就任にあたって全く原作を読んでいなかったが[15]、作品の世界観についてディックと何度も議論を交わしたことで、彼は映画の出来に確信を持つようになり、制作会社に「我々のSFとは何であるかという概念にとって革命的な作品となるだろう」と期待の手紙を送っている[16]。本作は『トータル・リコール』や『マイノリティ・リポート』に先立つ、ディック作品の初映画化となったが、本人は完成を待たず1982年3月2日に死去した[15]。本作に登場する「ブレードランナー」と「レプリカント
(英語版)」は、原作には登場しない映画オリジナル用語である。「ブレードランナー」という名称は、SF作家アラン・E・ナースの小説『The Bladerunner』(1974年)において「非合法医療器具(blade)の運び屋(runner)」という意味で登場する。この小説を元にウィリアム・S・バロウズは映画化用の翻案として『Blade Runner (a movie)[注釈 4]』(1979年、訳題『映画:ブレードランナー』)を執筆した。