ブレードランナー
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スコット自身は「デッカード=レプリカント」というアイデアを撮影中に気に入り[20]、それを示唆する表現である「デッカードが見るユニコーンの夢」のシーンを撮影作業終盤に撮影し[注釈 8]、劇場公開版に入れようとした。しかし当時のプロデューサー達は「芸術的すぎる」と拒否した。

このシーンは『ディレクターズ・カット』において初めて追加され、ラストシーンのガフが作ったユニコーンの折り紙と結びつくことによって、「デッカードの夢の内容が知られている=彼の記憶は作られたものである=デッカードもレプリカントである」という可能性を示唆した[21]。スコット自身は、2000年にイギリスChannel 4 Televisionが制作したドキュメンタリー『ON THE EDGE OF BLADE RUNNER』のインタビューにおいて「デッカードはレプリカントだ」と明言している。また、『メイキング・オブ・ブレードランナー ファイナル・カット』掲載のインタビューでは他のヒント(家族写真やデッカードの赤目現象シーン)も挙げた上で、より人間に近いネクサス7型レプリカントというアイデアを示唆している。またオーディオコメンタリーにおいては、「続編は無い」とした上で「もし続編があれば、デッカードをレプリカントにしようと思った」とも語っていた。しかし2017年の4K ULTRA HD版収録の、オーディオコメンタリーにおいては「続編を作りたい」と語り、またラストシーンについては「デッカードとレイチェルがネクサス7型や8型なら生き延びたろうね」とも述べている。

ただしスコットの見解に対する関係者の意見は様々である。ガフを演じたエドワード・ジェームズ・オルモスはスコットと同じ意見で、ユニコーンの夢を根拠にデッカードがレプリカントなのは明らかだと明言する一方[22][6]、脚本のファンチャーは人間説を唱え、スコットと論争を続けるフォードもまた[23]、観客はデッカードを応援したいはずだという理由で、レプリカントであるということを否定している[24]。しかし後にフォードは私は、ずっと彼がレプリカントだと知っていましたとも証言しており、レプリカントは自分自身を人間だと信じたいものであり、デッカードを演じて抗いたい思いもあったと述べている[25]。またデッカードがレプリカントというアイデアは撮影途中でスコットが思いついたことで、当初はそのように考えて撮影されていなかったとされ[注釈 9]、フォードもレプリカントだとは指示を受けておらず、撮影時には人間として演じたという[21]

以上のように諸々の経緯はあるが、「デッカード=レプリカント説」を断定出来るような描写はどの版の劇中にも存在しない。
ハリソン・フォード

フォードは、この映画については長年否定的であった。これは、興行的に失敗したことの他に、撮影が一旦終了したにも拘らず、何度も追加撮影のために呼ばれたのに我慢ができなくなったことによるという。

また、レイチェル役のショーン・ヤングが、撮影中にフォードから乱暴に扱われたという理由で[26]、不仲のまま撮影が行われたという経緯がある[注釈 10]。ディレクターズ・カットが公開された1992年には、「デッカード=レプリカント説」をめぐってスコットと揉めたこともあった。こうした経緯があり、長い間作品の事を語りたがらなかった。しかしある時期からは「本作以降、出演作を自由に選べるようになった」と述べるなど、態度を軟化させるようになり、積極的ではないがインタビュー等にも答えている[注釈 11]。その後、続編となる『ブレードランナー 2049』への出演も快諾した。
演出

映画『エイリアン』のSEや、救命艇ナルキッソス号が母船ノストロモ号から切り離される際のシークエンスで表示されるモニター画像をさりげなく挿入するなど、スコットのお遊びが散見される。ディックの小説『高い城の男』の世界観(枢軸国が勝利した世界)が想定されている可能性がある。

レプリカントのリーダー、バッティ[注釈 12]役のルトガー・ハウアーは人造人間の狂気と悲哀を好演した。ラストの独白シーンの台詞や演出は、本来の台本が長すぎると感じた彼が撮影時に提案したアドリブで、要約したピープルズの脚本に独自の台詞を加えて完成した。「雨の中の涙のモノローグ」(Tears in rain monologue)や、「Cビームスピーチ」として知られる[27][28]。このシーンを撮り終えると拍手が起こり、感動して涙を流すスタッフもいたという[29][28]。また白い鳩が飛び立つ描写もハウアーのアイデアだった[6]

ガフがデッカードに呼び掛ける「彼女も生きられずに残念ですな。だが、誰もがそうかもしれない」という台詞も、演じたオルモスによって付け足され、脚本にあった「お見事ですな」に続けて去り際に言った言葉が、思いもかけず完成した映画に残されたという[22]

ロサンゼルスの街にさまざまな人種が入り乱れて生活する様子を描写するため、日本語をはじめとする多国語の看板、日本語を話す店主が切り盛りする露店、日本語による話し声が多用されている。また、「ふたつで十分ですよ」[30]とハリソン・フォードとやりとりしている寿司屋の主人ハウイー・リーは、ロバート・オカザキという日系アメリカ人俳優である[31][注釈 13]。以下に代表的なものを挙げる。

日本語でイリヒカタムク(入り陽傾く)という声と芸者が現れる「強力わかもと」の広告はシド・ミードのアイデアとされ[15]、実際の製品は胃腸薬だが避妊薬という設定で登場する[32][33][注釈 14]

「゜コ゛ルフ月品〔ママ〕」[28]「日本の料理」など日本語の看板、ネオンサイン、壁面の落書き。

デッカードが屋台で日本語を話す店主にメニューを注文する際のやりとり[30]

デッカードを連れ去るパトカー(エアカー)のドアに漢字で『警察995』の正式表示[34]

いくつかのシーンで、シチュエーションに合わない日本語のガヤ(雑踏での台詞)が繰り返し使用。

またミニチュア・クルーによる演出外の趣向として、『未知との遭遇』のマザーシップや、『スター・ウォーズ』のミレニアム・ファルコン号、そして『ダーク・スター』の模型が画面に登場する[15]
デザイン

監督のリドリー・スコットはSFホラー『エイリアン』(1979年)に次ぐSF作品となる本作でも、卓越した映像センスを発揮した。従来のSF映画にありがちだったクリーンでハイテクな未来都市のイメージを打ち破り、環境汚染にまみれた酸性雨の降りしきる、退廃的な近未来の大都市を描いた。これは、シナリオ初稿を書いた、ハンプトン・ファンチャーが、フランスの漫画家メビウスが描いたバンド・デシネ短編作品『ロング・トゥモロー(英語版)』(原作は『エイリアン』の脚本家ダン・オバノン)での[3]、「混沌とした未来社会でのフィリップ・マーロウ的な探偵の物語」をイメージしていたためだった。

劇中の無国籍で混沌としたロサンゼルスのイメージは、メビウスの作品そのものである[注釈 15]。スコットは映画のスタッフにメビウスの参加を熱望したが、アニメーション『時の支配者(フランス語版)』の作業に携わっていた彼は、衣装デザインのみの参加となった[注釈 16]。また、インタビューでは度々エンキ・ビラルの作品の世界観を参考にしたとの発言が出ている。


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