ブレードランナー
[Wikipedia|▼Menu]
検査は専用の分析装置を用いることによって行われ、装置は本体に黒い大きな蛇腹状のパーツと数種類のモニタを備え、本体から伸びる伸縮式のアームの先には反射鏡式光学照準装置のようなものが取り付けられている。アーム先端の装置には虹彩を計測するビデオカメラを内蔵しており、収縮する蛇腹状のパーツは「対象者の身体表面より発散される粒子を収集するための装置」である[19]

劇中では、リオンとレイチェルがこれによりテストを受けているシーンがあり、デッカードとタイレルの会話において、レプリカントであるか否かを判定するためには通常2?30項目の質問が必要になる、と述べられているが、レイチェルがレプリカントであることを判定するには100項目以上の質問が必要であった。この描写から、質問項目に対する反応は「自分がレプリカントという自覚があるかどうか」に大きく左右されること、「記憶」の内容(レプリカントの場合は記憶として「移植」されたものの内容)によっては、レプリカントであるか否かの判定が容易には行えなくなり、テストの正確性が大きく揺らぐことがわかる[注釈 7]
時代設定

撮影中の脚本やスケジュールの変更、単純なミスなどにより、劇中では整合性のとれない箇所がいくつかみられる。当初、本作の年代設定は2020年だった。しかし、英語において「Twenty-Twenty」が視力検査で少数視力でいうところの1.0を表す言葉でもあるため、混同を避けるため、2019年に舞台が変更された。そのため登場するレプリカントの寿命に1年のズレがあるという矛盾が生じたが、気付かれずにそのまま撮影されてしまった。
6人目のレプリカント

ミスの中で生まれたものとして有名なのが「6人目のレプリカントはどこに行ったのか?」という問題である。警察署のシーンでブライアントは、地球に侵入したレプリカントは「男3人、女3人の計6名」であり、「うち1名は既に死亡している」と説明している。残りは5名となるはずだが、彼は「4名が潜伏中」と言い、劇中でもそれしか登場しない。

ファンチャーの脚本では5人目のレプリカント「ホッジ」と6人目の「メアリー」が設定されており、後者については配役も決まっていたが(ステーシー・ネルキン(英語版)が演じる予定だった)、予算の都合で撮影されなかった。しかし、ポストプロダクションで台詞の差し替えをしなかったため、ブライアントの説明に矛盾が生じる結果となった。その後、彼の台詞は『ファイナル・カット』において「2名が既に死亡」に修整された。

続編として発表された小説『ブレードランナー2 レプリカントの墓標』は、この6人目のレプリカントに関する物語になっている。また、当初はタイレル博士もレプリカントだという設定だった(後述)。
デッカードは何者なのか

上述の6人目のレプリカント問題に関して、「6人目とはデッカード自身ではないのか?」という考察が生まれたが、これは実際は制作上のミスによるもので、意図的な表現では無い。スコット自身は「デッカード=レプリカント」というアイデアを撮影中に気に入り[20]、それを示唆する表現である「デッカードが見るユニコーンの夢」のシーンを撮影作業終盤に撮影し[注釈 8]、劇場公開版に入れようとした。しかし当時のプロデューサー達は「芸術的すぎる」と拒否した。

このシーンは『ディレクターズ・カット』において初めて追加され、ラストシーンのガフが作ったユニコーンの折り紙と結びつくことによって、「デッカードの夢の内容が知られている=彼の記憶は作られたものである=デッカードもレプリカントである」という可能性を示唆した[21]。スコット自身は、2000年にイギリスChannel 4 Televisionが制作したドキュメンタリー『ON THE EDGE OF BLADE RUNNER』のインタビューにおいて「デッカードはレプリカントだ」と明言している。また、『メイキング・オブ・ブレードランナー ファイナル・カット』掲載のインタビューでは他のヒント(家族写真やデッカードの赤目現象シーン)も挙げた上で、より人間に近いネクサス7型レプリカントというアイデアを示唆している。またオーディオコメンタリーにおいては、「続編は無い」とした上で「もし続編があれば、デッカードをレプリカントにしようと思った」とも語っていた。しかし2017年の4K ULTRA HD版収録の、オーディオコメンタリーにおいては「続編を作りたい」と語り、またラストシーンについては「デッカードとレイチェルがネクサス7型や8型なら生き延びたろうね」とも述べている。

ただしスコットの見解に対する関係者の意見は様々である。ガフを演じたエドワード・ジェームズ・オルモスはスコットと同じ意見で、ユニコーンの夢を根拠にデッカードがレプリカントなのは明らかだと明言する一方[22][6]、脚本のファンチャーは人間説を唱え、スコットと論争を続けるフォードもまた[23]、観客はデッカードを応援したいはずだという理由で、レプリカントであるということを否定している[24]。しかし後にフォードは私は、ずっと彼がレプリカントだと知っていましたとも証言しており、レプリカントは自分自身を人間だと信じたいものであり、デッカードを演じて抗いたい思いもあったと述べている[25]。またデッカードがレプリカントというアイデアは撮影途中でスコットが思いついたことで、当初はそのように考えて撮影されていなかったとされ[注釈 9]、フォードもレプリカントだとは指示を受けておらず、撮影時には人間として演じたという[21]

以上のように諸々の経緯はあるが、「デッカード=レプリカント説」を断定出来るような描写はどの版の劇中にも存在しない。
ハリソン・フォード

フォードは、この映画については長年否定的であった。これは、興行的に失敗したことの他に、撮影が一旦終了したにも拘らず、何度も追加撮影のために呼ばれたのに我慢ができなくなったことによるという。

また、レイチェル役のショーン・ヤングが、撮影中にフォードから乱暴に扱われたという理由で[26]、不仲のまま撮影が行われたという経緯がある[注釈 10]。ディレクターズ・カットが公開された1992年には、「デッカード=レプリカント説」をめぐってスコットと揉めたこともあった。こうした経緯があり、長い間作品の事を語りたがらなかった。しかしある時期からは「本作以降、出演作を自由に選べるようになった」と述べるなど、態度を軟化させるようになり、積極的ではないがインタビュー等にも答えている[注釈 11]。その後、続編となる『ブレードランナー 2049』への出演も快諾した。
演出

映画『エイリアン』のSEや、救命艇ナルキッソス号が母船ノストロモ号から切り離される際のシークエンスで表示されるモニター画像をさりげなく挿入するなど、スコットのお遊びが散見される。ディックの小説『高い城の男』の世界観(枢軸国が勝利した世界)が想定されている可能性がある。

レプリカントのリーダー、バッティ[注釈 12]役のルトガー・ハウアーは人造人間の狂気と悲哀を好演した。ラストの独白シーンの台詞や演出は、本来の台本が長すぎると感じた彼が撮影時に提案したアドリブで、要約したピープルズの脚本に独自の台詞を加えて完成した。「雨の中の涙のモノローグ」(Tears in rain monologue)や、「Cビームスピーチ」として知られる[27][28]。このシーンを撮り終えると拍手が起こり、感動して涙を流すスタッフもいたという[29][28]。また白い鳩が飛び立つ描写もハウアーのアイデアだった[6]

ガフがデッカードに呼び掛ける「彼女も生きられずに残念ですな。だが、誰もがそうかもしれない」という台詞も、演じたオルモスによって付け足され、脚本にあった「お見事ですな」に続けて去り際に言った言葉が、思いもかけず完成した映画に残されたという[22]

ロサンゼルスの街にさまざまな人種が入り乱れて生活する様子を描写するため、日本語をはじめとする多国語の看板、日本語を話す店主が切り盛りする露店、日本語による話し声が多用されている。また、「ふたつで十分ですよ」[30]とハリソン・フォードとやりとりしている寿司屋の主人ハウイー・リーは、ロバート・オカザキという日系アメリカ人俳優である[31][注釈 13]。以下に代表的なものを挙げる。

日本語でイリヒカタムク(入り陽傾く)という声と芸者が現れる「強力わかもと」の広告はシド・ミードのアイデアとされ[15]、実際の製品は胃腸薬だが避妊薬という設定で登場する[32][33][注釈 14]

「゜コ゛ルフ月品〔ママ〕」[28]「日本の料理」など日本語の看板、ネオンサイン、壁面の落書き。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:212 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef