ブレーズ・パスカル
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

二人の姉妹がおり、その内の一人のジャクリーヌとは非常に仲が良く、この世で一番愛していたともいわれる[1]
数学、自然哲学への才能の早熟

パスカルは幼少の頃から天才ぶりを発揮していた。例外の多い語学への影響を懸念した父親によって数学から遠ざけられていたが、まだ10歳にもならない頃に、三角形内角の和が二直角である事や、1からnまでの和が(1+n)n/2である事を自力で証明して見せたと言われている。歯車式計算機「パスカリーヌ」

パスカルが少年の時に、教育熱心な父親は一家を引き連れパリに移住する。パスカルは学校ではなく、家庭で英才教育を受けた。父親は自然哲学やアマチュア科学をたしなんでおり、その知識をパスカルに授けた。しかも、自宅には当時の一流の数学者や科学者が頻繁に出入りし、自宅は一種の「サロン」や「サークル」の状態になっており、彼はそうした大人たちの集いにも顔を出し、様々な知識を吸収することも出来、大人たちと討論したり思索を深めたりすることで、その才能が本格的に開花した。

1640年、16歳の時に、『円錐曲線試論』を発表。

17歳の時には、機械式計算機の構想・設計・製作に着手し、それを見事に2年後に完成させた。これによって、父親の徴税官の(計算の)仕事を楽にしようとしたのだ、とも言われている。またこの計算機の設計・製作に過度に没頭したことが、パスカルの肉体を傷め、病弱となり、寿命を縮める原因のひとつとなった、とも言われている。
その他の数学、自然哲学の業績パスカルの三角形

パスカルの定理

パスカルの三角形」Traite du triangle arithmetique(1655年発表)

確率論」の創始 (賭け・賭博についての考察より)

サイクロイドの求積問題。

パスカルの原理」(流体の平衡についての理論)の提唱(力学物理学における圧力の単位、パスカルに名を残している)

等々。
神学者、キリスト教弁証家として活動

1646年、パスカル一家はサン・シランの弟子らと出会い、信仰に目覚め、ジャンセニスムに近づいてゆく。

1651年、父が死去。妹ジャクリーヌがポール・ロワヤル修道院に入る。

パスカルは一時期、社交界に出入りするようになり、人間についての考察に興味を示す。オネットムhonnete homme(紳士,教養人)という表現を用いる。

1654年、再度、信仰について意識を向け始め、ポール・ロワヤル修道院に近い立場からものを論ずるようになる。

1656年 - 1657年、『プロヴァンシアル』の発表。神の「恩寵」について弁護する論を展開しつつ、イエズス会の(たるんでしまっていた)道徳観を非難したため、広く議論が巻き起こった。また、キリスト教を擁護する書物(護教書)の執筆に着手。そのために、書物の内容についてのノートや、様々な思索のメモ書きを多数記した。だが、そのころには、体調を崩しており、その書物を自力で完成させることができなかった。

ノート、メモ類は、パスカルの死後整理され、『パンセ』として出版されることになり、そこに残された深い思索の痕跡が、後々まで人々の思想に大きな影響を与え続けることになった。存在について確率論を応用しながら論理学的に思考実験を行った「パスカルの賭け」など、現代においてもよく知られているパスカル思想の多くが記述されている。

『パスカルの賭け』において、パスカルは、多くの哲学者や神学者が行ったような神の存在証明を行ったわけではない。パスカルは、そもそも異なる秩序に属するものであることから、神の存在は哲学的に(論理学的に)証明できる次元のものではないと考え、同時代のルネ・デカルトが行った証明などを含め、哲学的な神の存在証明の方法論を否定していた。パスカルは、確率論を応用した懸けの論理において、神の存在は証明できなくとも、神を信仰することが神を信仰しないことより優位である、ということを示したのである[要出典]。
5ソルの馬車

1662年、「5ソルの馬車」と呼ばれる乗合馬車( = 馬車の共有)というシステムを着想・発明。パリで実際に創業した。これまで、馬車と言えば、富裕な貴族が個人的に所有する形態しか存在しておらず(今日のタクシーにあたる辻馬車1625年ロンドンに登場、ほどなく、パリにも登場している)、パスカルの実現したこのシステムは今日のバスに当るものである。
最晩年

パスカル自身は乗合馬車の創業6ヶ月後に、体調がいよいよ悪化し、死去。39年の生涯を閉じた。

死後、パスカルが病床で着ていた着物(肌着)の襟の中に、短い文書が縫い込められ、隠されているのが発見された。そこに書かれていたのは、彼自身が以前に体験した、回心と呼ばれる宗教的な出来事だった。
哲学

ルネ・デカルト流の哲学については、理性に関係する特定の分野でのそれなりの成果は認めつつも、神の愛の大きな秩序の下では、デカルト流の理性の秩序が空しいものであることを指摘した。また、「哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである」とする有名な記述も残している。それはパンセの断章番号4の部分である。それは以下に引用する。 幾何学。繊細。
 真の雄弁は、雄弁をばかにし、真の道徳は、道徳をばかにする。言いかえれば、規則などない判断の道徳は、精神の道徳をばかにする。
 なぜなら、学問が精神に属しているように、判断こそ、それが直感に属しているからである。繊細は判断の分け前であり、幾何学は精神の分け前である。
 哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである。 ? パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、11頁。

パスカルが懐疑論を重要視しているという後述の「懐疑論・確率論」の節の内容と関連することであるが、上述のようなパスカルの態度は、後19世紀に登場する哲学者フリードリヒ・ニーチェ以後の哲学史において現代哲学の流れにある「反基礎付け主義」を基調とするいわゆる「反哲学の哲学」に共鳴し、またはそれに先駆的であると言われることがある[2]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:39 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef