ブレンガンは、イギリス軍兵士の間では、高い信頼性と戦闘効果により、高い評価を得た。このため、長い間他の武器と代替されなかった。
NATO弾(7.62mm弾)が制定されてからは、この弾丸に適合するように、制式名称L4として改修され、1980年代まで第一線にあった。それまでのリム付き弾薬からリムレス弾薬に変更されたため、大きく湾曲していた弾倉は(もとのチェコ設計の直線弾倉に似た)、より使いやすい湾曲の少ない弾倉に切り替えられた。円錐型のフラッシュハイダーは、同時代のL1 ライフルおよびL7汎用機関銃と同じような、スリット式のものに改修された。
歩兵用軽機関銃が、5.56mm弾薬を使用するミニミ軽機関銃に置き換えられ、ブレンガンL4はその運用を終えた。
インドやパキスタンなどの旧英領諸国では、現在も使用されている。
派生型ブレン軽機関銃
Mark 1(Mk.I)1938年8月から運用開始、チェコの設計を元にしたブレンガンの基本形である。弾倉口の左側面には光学照準器を装着するための溝が設けられている。三脚に搭載する際には、銃床下部のサポートハンドルを外す必要がある。銃口消炎器からガスブロックにかけてはステンレス製の一体部品となっており、塗装や着色がなされていないため銀白色で、銃身前半にかぶせるように装着されている。二脚は個別に伸縮できる。下記のMk.IIが登場する前に、光学照準器用の溝を廃止し、サポートハンドルを付属させないといった簡略化が試みられている。
Mark 2(Mk.II)1941年に登場、Mk.Iの簡略型。Mk.IIの外観上の特徴として、リアサイトがドラム調整型から起倒式のエレベーションサイト型になったこと、銃口消炎器・照星座・ガスブロックが別個の部品になったこと、光学照準器の取り付け座・コッキングハンドルの折り畳み機能・二脚の伸縮機能が廃止されたことが挙げられる。また銃床からは床尾上板やサポートハンドル取り付け部が廃止され、木部の形状も単純化された。生産性を上げるために機械加工が単純化されたが、肉抜き箇所が減ったことから、Mk.Iに比べて約500グラム重くなった。モノタイプ社やカナダ・イングリス社を通じて、多数の工場で部品が製造された。
Mark 3(Mk.III)エンフィールド工廠により、銃身を短くし軽量化を図ったもので、空挺部隊での使用向けや、1943年の東部戦線向けに製造された。ソビエト連邦にもレンドリース形式で供与されたが、弾薬が英軍仕様のままであったため、前線では使用されなかった。
Mark 4(Mk.IV)1944年に登場。Mk.IIにMk.IIIに準じた改造を施した仕様。
L41958年に登場。すべてのブレンL4で7.62x51mm NATO弾が使用できる。L4の30連弾倉は湾曲の角度が浅くなっているため、303ブリティッシュ弾仕様と形状が異なり容易に見分けがつく。弾倉は同世代の制式小銃であるL1A1と互換性があった。フラッシュハイダーは、スリット式のものに改修された。L4のバージョンについては、次の表を参照。
制式名特徴
L4A1ブレン Mk.IIIの二脚と鋼鉄製銃身をそのままに、口径のみ改修したもの
L4A2ブレン Mk.IIIを基に口径を改修すると共に、二脚を軽量化したもの
L4A3ブレン Mk.IIを改修したもの
L4A4L4A2の鋼鉄製銃身を、クロムメッキを施した銃身に改修したもの
L4A5L4A3をイギリス海軍向けに、銃身をクロム処理したもの
L4A6L4A1の銃身をクロム処理したもの
L4A9L7汎用機関銃実用化までのつなぎとして、ブレンを車載用に改修したもの
製造状況
エンフィールド工廠 - 月産400丁
ジョン・イングリス株式会社(英語版)(カナダ) - 1943年から追加生産を開始。ヴェロニカ・フォスターもここで勤務していた。
リスゴー(オーストラリア)
使用状況ブレン軽機関銃を構える英印軍シーク教徒兵士(1944年1月、イタリア戦線にて撮影)
イギリス軍全般
イギリス連邦加盟国、および旧イギリス領諸国
アイルランド国防軍(PDF & FCA)
?介石時代の中華民国国軍
ソビエト連邦軍(東部戦線)
第一次中東戦争(独立戦争)当時のイスラエル国防軍
登場作品ブレン軽機関銃の登場作品を表示するには右の [表示] をクリックしてください。
映画
『007シリーズ』
『007 ドクター・ノオ』
ドクター・ノオの私兵が使用。
『007 ロシアより愛をこめて』
『巨大猿怪獣コンガ』
『殺しの免許証』
『史上最大の作戦』
フラナガン一等兵が使用。
『太陽の帝国』
日本陸軍の九六式軽機関銃ないし九九式軽機関銃の代役として登場。