ブレンダ・リー
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11月にデッカはこのシングルを出版して5,000枚しか売れなかったが、1959年に再出版されるとヒットして最終的に500万枚売り上げた。

1960年、のちに彼女の代表曲となる『I'm Sorry 』を収録し、『ビルボード』のポップ・チャートで第1位となった。これが彼女の最初のゴールド・レコードとなり、グラミー賞にノミネートされた。カントリー曲としての出版ではなかったが、弦楽器およびレガートなハーモニーのバック・コーラスを用いたナッシュビル・サウンドの最初の最大のヒット曲となった。数か月後、『Rockin' Around the Christmas Tree 』が3度目の出版をし、売り上げは雪だるま式に伸びた。この曲は毎年12月になると流れ、のちの世代にもリーはこの曲で認知されている。

リーのポップ・チャートでの最後のトップ10シングルは1963年の『Losing You 』(第6位)であったが、1966年の『Coming on Strong 』、1964年の『Is It True 』など他のチャートに残り続けた。『Is It True 』はミッキー・モーストのプロデュースでギターにビッグ・ジム・サリヴァンおよびジミー・ペイジ、ドラムにボビー・グラハムが参加しイングランドロンドンでレコーディングした唯一のヒット・シングルとなった(ただしスライド・ギターおよびバック・コーラスはナッシュビルで重ね撮りした)。ウエスト・ハンステッドにあるデッカ・レコードの第2スタジオで収録され、B面はレイ・チャールズの1959年の『What'd I Say? 』のカヴァーが収録されたがアメリカでは出版されていない。
世界的名声

初期の頃からイギリスでも人気があった。アメリカでポップ歌手としての称賛を得る前の1959年、イギリスをツアー公演した。1959年に収録され1961年に出版されたロカビリーの『Let's Jump the Broomstick 』はアメリカではチャートに入らなかったが、イギリスでは第12位となった。その後イギリスで2曲がトップ10に入ったが、これらの曲はアメリカではシングルでの出版はなかった。イギリスでは1962年初頭、『Speak to Me Pretty 』が最高第3位で彼女のイギリスでの最大のヒット曲となり、『Here Comes That Feeling 』が第5位となった。『Here Comes That Feeling 』はアメリカで『Everybody Loves Me But You 』のB面となり、第6位となった。しかし『Here Comes That Feeling 』は『ビルボード』ホット100で最高第89位になった。またアイルランドもツアーし、1963年4月、ダンスおよびエンターテイメント誌『Spotlight 』の表紙を飾った。

1960年代、リーのイギリス・ツアー公演の前座を務めたのは当時あまり知られていなかったリヴァプール出身ビート・グループのビートルズであった[6][7]

1963年3月、リーはトニー・シェリダン、バチェラーズ、マイク・ベリーとツアーした。
キャリア後半

1970年代初頭、リーはカントリー・ミュージック・アーティストとして再確立し、カントリー・チャートで多くのトップ10ヒット曲を生み出した。うち1曲目となる1973年の『Nobody Wins 』は第5位となり、ポップ・チャートでは第70位で最後のポップ・チャートのトップ100にランクインした曲となった。マーク・ジェイムスが作曲した次の『Sunday Sunrise 』は10月の『ビルボード』ホット・カントリー・チャートで第6位となった。他の著名なヒット曲には『Wrong Ideas 』、『Big Four Poster Bed 』(1974年)、『Rock on Baby 』、『He's My Rock 』(共に1975年)などがある。

数年間ヒットがなかったが、1979年の『Tell Me What It's Like 』が再びトップ10に入った。1980年には『The Cowgirl and the Dandy 』、オーク・リッジ・ボーイズがバック・コーラスを務めた『Broken Trust 』の2曲もトップ10に入った。1982年のアルバム『The Winning Hand 』はドリー・パートンクリス・クリストファーソンウィリー・ネルソンが参加し、アメリカのカントリー・アルバム・チャートでトップ10に入り大ヒットとなった。ジョージ・ジョーンズとデュエットした1985年の『Hallelujah, I Love Her So 』が最後のヒット曲となった。
近年

その後もレコーディングや、過去の曲を4カ国語で演奏するなど世界中での活動を続けた。1992年、ウィリー・デヴィルのアルバム『Loup Garou 』の収録曲『You’ll Never Know 』でデュエットをした。現在もリーはツアー公演を含む演奏活動を続けている。

2002年、ハリペリオンより自伝『Little Miss Dynamite: The Life and Times of Brenda Lee 』が出版された(ISBN 0-7868-6644-6)。
家族

失恋の曲が多いが、1963年からロニー・シャックレットとの婚姻が続いている。彼は音楽業界のやり手として彼女を長期間にわたる経済的成功に導いている。ジョリーとジュリー(パッツィー・クラインの娘にちなむ)の2人娘とテイラー、ジョーダン、チャーリーの3人の孫がいる。
受賞歴等

1990年および2001年、ロックの殿堂の最終選考に残ったが選ばれず、2002年についに殿堂入りした。

2006年9月、芸能活動が50年以上となったことを祝し、ナッシュビルのソース・ファンデーションによるジョー・ミーダー・ウォーカー特別功労賞の2人目の受賞者となった。1997年、カントリー・ミュージック殿堂、ロカビリー殿堂、ヒット・パレード殿堂に殿堂入りした。

2008年、『Rockin' Around the Christmas Tree 』がクリスマスの定番として50周年を迎え、2009年2月、ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンスからグラミー賞特別功労賞が授与された。
ポピュラー・カルチャー

チャック・ベリーはアルバム『St. Louis to Liverpool 』で彼女のことを曲にした。1973年、ゴールデン・イヤリングのヒット曲『Radar Love 』で「ラジオから懐かしい曲が流れている/ブレンダ・リーの『Coming on Strong 』」という歌詞がある。1978年、バートン・カミングスのアルバム『'Dream of a Child 』ではリーがヒロインとなっており、タイトル曲で「私が子供の時、エルヴィス・プレスリーの夢を見た。角に立って、ブレンダ・リーにキスをした」という歌詞があり、最後には「私はブレンダ・リーを愛している/ブレンダ・リーは私を愛している」という歌詞がある。1985年、ベン・ヴォーンは『I'm Sorry (But So Is Brenda Lee) 』という曲を作曲および出版し、のちにマーシャル・クレンショーがカヴァーした。映画『トランザム7000』でもリーについての言及がある。

1990年の映画『ホーム・アローン』で『Rockin' Around The Christmas Tree 』が流れる。1991年の映画『フィッシャー・キング』、1993年の映画『ボーイズ・ライフ』、『クリス・ファーレイはトミー・ボーイ』で『I'm Sorry 』が流れる。2009年に高評価を得た『17歳の肖像』で『Sweet Nothin's 』が流れる。

2006年11月1日放送のABCのドラマ『LOST』第3シーズンのエピソード『The Cost of Living 』でコリーンの葬式のシーンで1963年の『I Wonder 』が流れる。NBCの『アメリカン・ドリームズ』の2エピソードでケリー・クラークソンがリー役で出演した。AMCの『マッドメン』第2シーズン第7話『The Gold Violin 』のクレジットのシーン、ABCの『PAN AM/パンナム』第1シーズン第7話で『Break It To Me Gently 』が流れる。

2010年のゲーム『ベヨネッタ』のエンドクレジットでリーがカヴァーした1963年の『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』が流れる。

『トランザム7000』でバンディットが好きな歌手としてリーの名を失念したことから、続編『トランザム7000VS激突パトカー軍団』では以前バンディットの敵であったジャスティス保安官が自分のことを覚えてくれていたことに喜ぶ結婚式の招待客「Nice Lady 」役でリーがカメオ出演した。

2013年、カニエ・ウエストのアルバム『Yeezus 』の収録曲『Bound 2 』に『Sweet Nothin's 』のリーの声が使用されている。1979年、Nikos Nikolaidis の映画『The Wretches Are Still Singing にもリーの歌が使用されている。
ディスコグラフィ詳細は「ブレンダ・リーのディスコグラフィ(英語版)」を参照
シングル



Jambalaya
(1956年、デビュー曲)

One Step at a Time (1957年、US第43位)

Dynamite (1957年、ニックネーム「リトル・ミス・ダイナマイト」のもととなった)

ロッキン・アラウンド・ザ・クリスマス・ツリー Rockin' around the Christmas Tree (1958年、US第14位、UK第6位、クリスマス定番曲)

Let's Jump the Broomstick (1959年、UK第12位)

Sweet Nothin's (1959年、US・UK第4位)

アイム・ソーリー I'm Sorry (1960年、US第1位、UK第12位)

That's All You Gotta Do (1960年、US第6位)

I Want to Be Wanted (1960年、US第1位、UK第31位)

Emotions (1961年、US第7位、UK第45位)

You Can Depend on Me (1961年、US第6位)

Dum Dum (1961年、US第4位、UK第22位)

Fool #1 (1961年、US第3位、UK第38位)

Break It to Me Gently (1962年、US第4位、UK第46位)

Speak to Me Pretty (1962年、UK第3位)

Everybody Loves Me But You (1962年、US第6位)

Here Comes That Feeling (1962年、US第89位、UK第5位)

Heart in Hand (1962年、US第15位)

It Started All Over Again (1962年、US第29位、UK第15位)

All Alone Am I (1962年、US第3位、UK第7位)

Your Used to Be (1963年、US第32位)

She'll Never Know (1963年、US第47位)

Losing You (1963年、US第6位、UK第10位)

I Wonder (1963年、US第25位、UK第9位)

My Whole World Is Falling Down (1963年、US第25位)

The Grass Is Greener (1963年、US第17位)

As Usual (1963年、US第12位、UK第5位)



Think (1964年、US第25位、UK第26位)

Alone with You (1964年、US第48位)

When You Loved Me (1964年、US第47位)

Is It True (1964年、US第17位、UK第17位)

Jingle Bell Rock (1964年、クリスマス定番曲)

Truly, Truly True (1965年、US第54位)

Too Many Rivers (1965年、US第13位、UK第22位)

Rusty Bells (1965年、US第33位)

ワン・レイニー・ナイト・イン・東京 One Rainy Night in Tokyo (1965年、日本第1位)[要出典]


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