何をもって宗主としたかは複雑で、様々な支配と服従の形があった。例えばアングロサクソン社会において、ある王が別の王国を支配下にした場合、それが例えばマーシア王がイースト・アングリアを支配下に置いた時のような場合は、両国の立場は対等であったが、もし、大国マーシアが小国ウィッチェを支配下にした時のように、それが小さな国を支配した場合には必ずしもそうとは言えなかった。7世紀、8世紀を通じてマーシアの勢力はアングロサクソン社会の中で最強であったが、ベーダの記した覇王の列記にはマーシア王は載せられてはいない。ベーダにとってマーシアは自分の故国ノーサンブリアの敵であり、また彼は(異教の)ペンダのようなアングロサクソンに有利に展開していた事も知っていた。そのために実際はペンダが覇王と呼ぶべき力を有していたのにもかかわらず、自らの著作の列記の中でその名を記す事はなかった。同様にウェセックス王のアングロサクソン社会での正当性を正当化するために綴られた(アングロサクソン年代記の中にある)西サクソン王族系譜目録からも強大なマーシア王であったオファも除外されている。
アングロサクソン年代記とベーダの著作に書かれたブレトワルダ
エール (サセックス王)
チェウリン (ウェセックス王)
エゼルベルト (ケント王)
レドワルド (イースト・アングリア王)