中世以来の武器製造の伝統を有し[6]、現代においてもブレシアはイタリアの代表的な兵器生産地である[13]。ブレシアとその周辺には、ベレッタ(本社: ガルドーネ・ヴァル・トロンピア)、ブレーダ・メッカニカ・ブレシャーナ(本社: ブレシア)など多くの銃器メーカーが本拠を置いている。ブレシアでは毎年兵器の見本市が開催されている[13]。
金融業もさかんである。また、ガルダ湖やイゼーオ湖、アルプス山脈に向かう観光客を相手にした産業でも潤っている。
文化・観光
観光地カピトリウム神殿の遺跡ローマ時代の劇場遺跡
フォロ広場 (it:Piazza del Foro) は、ローマ時代のフォルムの跡である。広場の北側、 Colle Cidneo の丘には、カピトリウム (it:Capitolium (Brescia)) と呼ばれるコリント式の神殿がある(1823年に再発見された)。この神殿の複合体のうち、小さいものは共和政時代にさかのぼり、大きなものはウェスパシアヌス帝によって西暦73年に建設されたと考えられている。1826年の発掘で、カピトリウム内からニケの素晴らしい銅像が発見された。古代後期、この都市を見舞った様々な災厄から守るために隠されていたものと考えられている。
カピトリウムは、ブレシア・ローマン博物館として使用されていたが、博物館はサンタ・ジュリア女子修道院の近くに移転している。サンタ・ジュリア女子修道院 (it:Monastero di Santa Giulia) はかつて有力な女子修道院であり、ロンバルディア王国の時代にはデシデリウス王 (Desiderius) の王女であるアンセルペルガ (Anselperga) が修道院を率いていた。「サン・サルヴァトーレとサンタ・ジュリアの修道院建造物群を含む記念建造物地域」は、ユネスコの世界遺産「イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡 (568-774年)」の一部を構成している。
カピトリウムの東にはローマ劇場の遺跡がある。ルネサンス期に Colle Cidneo の丘の斜面に宮殿が建設されたために、劇場の遺跡で残っているのは一部だけである。
中世の代表的な建築物としては、ブレシア城 (it:Castello di Brescia) がある。 プロサッカークラブチームとして、ブレシア・カルチョが本拠を置く。ホームスタジアムはスタディオ・マリオ・リガモンティ。 レーシングチームBMSスクーデリア・イタリアの本拠・ファクトリーがある[14]。1988年から1993年の6シーズンはフォーミュラ1に参戦した。 郊外のモンティキアーリにブレシア空港
スポーツ
サッカー
モータースポーツ
姉妹都市
ベツレヘム (パレスチナ)
ダルムシュタット (ドイツ)
ログローニョ (スペイン)
深?市 (中国)
交通
道路
高速道路
アウトストラーダ A4
アウトストラーダ A21
国道
SS11 (it:Strada statale 11 Padana Superiore
SS45bis (it:Strada statale 45 bis Gardesana Occidentale
SS235 (it:Strada statale 235 di Orzinuovi)
SS345 (it:Strada statale 345 delle Tre Valli)
SS510 (it:Strada statale 510 Sebina Orientale)
鉄道ブレシア駅
ブレシア地下鉄
ミラノ=ヴェネツィア線 (it:Ferrovia Milano-Venezia)
ブレシア駅 (it:Stazione di Brescia)
ベルガモ=ブレシア線 (it:Ferrovia Bergamo-Brescia)
パルマ=ブレシア線 (it:Ferrovia Parma-Brescia)
ブレシア=クレモナ線 (it:Ferrovia Brescia-Cremona)
ブレシア=イゼーオ=エードロ線 (it:Ferrovia Brescia-Iseo-Edolo)
空港
人物
著名な出身者「Category:ブレシア出身の人物」も参照
ニコロ・フォンタナ・タルタリア - 16世紀の数学者・工学者。
ビアージョ・マリーニ - 17世紀、バロック音楽初期の作曲家。
フランチェスコ・ラナ・デ・テルツィ - 17世紀の聖職者、発明家。
ジュゼッペ・ザナルデッリ - 19-20世紀初頭の政治家、イタリア王国首相。