ブレイブハート
[Wikipedia|▼Menu]
千田光男
佐々木敏
藤巻恵理子
御友公喜
中澤やよい
手塚秀彰
諸角憲一
糸博
廣田行生
坂口哲夫
田中亮一
後藤敦
田村真紀
伊藤栄次
中博史
中田雅之
緒方文興
石塚運昇

演出岩見純一福永莞爾
翻訳栗原とみ子鈴木導
調整蝦名恭範山田太平
効果リレーション
制作ACクリエイトムービーテレビジョン


ソフト版:VHSDVDBD収録

テレビ朝日版:初回放送1999年1月31日『日曜洋画劇場』21:00-23:40(正味約150分)

※20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパンより、2018年11月3日発売の4K ULTRA HD Blu-ray+ Blu-ray Discに全2種類の吹替版を収録。
制作にまつわるエピソード

映画の大部分は、
スコットランドではなくアイルランドで撮影された。映画の中に登場する城郭の中の一つは、明らかにミース県にあるトリム城である。また、映画の中でみられる山岳風景の大部分は、ウィックロー県ウィックロー山地である。他には、同じくアイルランドのキルマショーグ山とジョウス山の景色を、映画の中で見ることができる。

一般兵士として出演したエキストラたちがサングラスをかけていたり腕時計をしていたため、主要な戦闘場面のかなりの部分を再撮影しなければならなかった。ある場面では背後に走行している白色の乗用車(バン)が映ったままになっている。

スターリング・ブリッジの戦いの撮影だけに、およそ6週間が費やされた。実際、この一連のシーンが90分強の映画の約半分の時間を占めている。

メル・ギブソンはいたずら好きとして知られているが、ウォレスの父の葬儀などのいくつかのシーンを、エルマー・ファッドのモノマネをしながら監督したという。そのせいで、多くの役者たちがシーンの途中で笑い出してしまうなど、NGを出した。

史実との相違.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "ブレイブハート" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2019年6月)


『ブレイブハート』のプロットは、ウィリアム・ウォレスとフランス王女イザベラとの間のロマンスを含んでいる。映画では、彼女がウォレスの処刑の際に妊娠しており、後のエドワード3世にウォレスの血脈が繋がったことが暗示されている。歴史的には、イザベラは当時まだ10歳頃でフランスにおり、もちろんウォレスとの面識はない。さらに彼女はウォレスの死から3年後、既に戴冠したエドワード2世に嫁いでおり、王太子としてのエドワードと結婚したわけではない。エドワード3世はウォレスの死から7年後の1312年に生まれており、ウォレスの息子ではありえない[3]

スターリング・ブリッジの戦いは最初の大規模な戦闘シーンであるが、史実では川の橋上で行われた戦闘が、映画では原野となっている。ヒストリーチャンネルのインタビューによると、本当は橋を作って撮りたかったのだが時間も予算もなかったので諦めたと述べている。

オープニングの説明において、「スコットランドの王が跡継ぎを残すことなく死去した」「スコットランド 1280年」とあるが、これは正確ではない。厳密には、当時のスコットランド王アレグザンダー3世1286年まで存命であり、しかも国家は即座に乗っ取られたわけではなかった(アレグザンダー3世の孫娘マーガレットが半ば形式的ではあるが1290年の死まで女王として在位している)。

映画では、エドワード1世がウォレスの処刑と同時に死んだように描かれている。しかし、ウォレスがウェストミンスターで処刑されたのは1305年で、エドワード1世が死んだのは1307年と伝えられており、実際には2年間の開きがある。エドワード1世は、ロバート・ブルースがスコットランドで独立のための戦いを始めた最中に死去している。

この映画では、ウォレスに従うローランダーたちがキルトを着けているが、普通ローランドではキルトは着けない上、そもそもキルトがスコットランドの民族衣装扱いされるのはもっと後の時代である。また、封建領主や貴族たちの武装も本来のものとは違っていた(足を守る防具を身に着けて、特別に交配された軍馬に乗っていたはずである)。

映画の中でウォレスらは顔を青く塗っているが、これはスコットランドの風習ではなく、古代ケルト人の風習である。ただし、メイキングの中でそれは認めており、絵的に映えるという理由で行ったとしている[3]

映画の冒頭部分で、少年時代のウォレスが納屋の中で吊るされたスコットランドの貴族や盾持ちたちを発見する。この事件は「エアー(Ayr)の納屋事件」として知られているが、この事件を伝えているのは、15世紀頃(つまり200年ほど後)のウォレスに関する伝記作家ブラインド・ハリー(盲目のヘンリー)の、半ば伝説を含むような伝記のみである。加えてその記述では、スターリング・ブリッジの戦いと同じ1297年の事件として記されている。

ロバート・ブルースの父がハンセン病患者として描かれているが、実際にハンセン病に罹って病死したのはロバート・ブルース自身[4]である。

エドワード1世が初夜権をこの戦争中に行使していたとする記録は一切ない。

「ブレイブハート」という言葉は、ウォレスに対して使われたことはないが、ロバート・ブルースに対して使われたことはある。ジェームズ・ダグラス(黒ダグラス)は、イスラム教徒に対する十字軍の際に、ロバートの心臓を戦意高揚のために持ち出しており、待ち伏せを受けた際には、ロバートの心臓の収められた箱を前に放り投げながら「勇者の心臓よりも前に! 汝に続かざればダグラスは死ぬであろう」(Onward braveheart! Douglas shall follow thee or die)と叫んだとされる。

考慮される政治的影響

政治評論家たちの中には、この映画が1990年代半ばから終わりにかけて盛り上がったイギリスからの「独立」をめぐるスコットランド独立運動の政治的な展望に影響を与えたと主張する者もいる[5]

この映画は、イングランドによるスコットランド支配の感情的な側面をよく描き出している。その情景は、1980年代から1990年代にかけてのスコットランドにおける保守党政権の不人気と関連して考えられた。また、スコットランドにおけるナショナリズム感情の高まりに寄与し、1997年の総選挙の結果に影響を与えたという説もある。1997年の総選挙において、スコットランドにおける下院72議席のうち3議席を有していたスコットランド国民党(SNP, Scottish National Party)は6議席を獲得し、勢力を倍増させた。また、総選挙における労働党の勝利が、スコットランド議会の設置を問う1997年9月11日住民投票に繋がった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:51 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef